それってつまり
「障害がないのに、人並みの事ができないやつは『努力不足のクズ』である」
って思想がソイツの中にあるってことだと思うんだけど?
病気について調べるのはいいけど、それとはまた別にその歪んだ認知を治そうとしたほうがいいんじゃないかな。
人間にはそれぞれ得手不得手があるんだから、それが障害として認知される所まで個体差大きくなくたって苦手なものは苦手でいいじゃん。
みたいなポーズしてるけど、それは結局周りにそういう思想を押し付けていることになっていることに気づいてほしいな。
アタリマエのことが出来なくて怒られた記憶が自分にあることは、周りがアタリマエが出来なかった時に自分がキレちらかす側になることの免罪符にはならんよ。
自分の障害について調べるような人って、立場から言えば世の中の許す人間らしさの許容値をめっちゃ緩くする方向に持っていったほうがいいのに逆のことしてるよね。
世の中に責められることにおびえて先回りで自分が悪かったですと謝り倒して置こうみたいな極端な思想に走りがち。
それが結果的に周囲の環境におけるアタリマエの許容範囲をどんどん狭めていくことになって自分だけじゃなくて他の人も苦しめてる。
ゲスの勘ぐりかも知れないけど、そうやってアタリマエから弾き出される人が沢山出てくるのを見て楽しみたいって所まで心が歪んでしまっているんじゃないだろうか。
自分がやられて辛かったことを他人も辛くなっているのを見て安心したいのかな。
生きづらさとやらの原因は障害の有無だけじゃなくてそういう心の持ちようにもあるような気がするなあ。