2022-01-31

お母さん

私は、自分境遇は最低だと、そう思っていた。

大好きだった母親を、

家族の中心だった母親を、

一番一緒にいて欲しい時に亡くした。

当時私は小学校上がりたてで

なにかしてあげようにも、なにもできないでいた。

亡くなる数週間前に、

なんだか思いきり甘えたくて一緒にベッドで横になったのが

一番最後母親を感じた時。

あの時のお母さんの感触とにおい

まだなんとなく覚えてるよ。

最期は自宅でと望んだ母親

きっと父への深い愛と、

少しでも長く家族で過ごしたいという思いからだろう。

私はそんな母親が誇らしかったけれど、

まりにも早い死を許せなくもいた。

亡くなる瞬間も

一番遠くで

ただ立っていた。

父が咽び泣いていて、飼っていた犬が2回吠えていたのをよく覚えている。

そんな自分が嫌で

どうしても自分を好きになれなかった。

思春期母親がいなかったこから

「お母さんがいれば、こんな思いしなかったのに」

なんて意味のないことばかり考えて泣いていたように思う。

亡くなってから1年くらいの記憶ほとんどないのだけれどね。

ただ、思いってのは良いことも悪いことも風化するもの

その風化がわたし場合とてもうまくいったんだと思う。

一緒に苦しんでいる父と妹と弟

お母さんの葬儀の時に抱き締めてくれた先輩

母親を亡くした私を腫れ物あつかいするわけでもなく

一緒に悲しんでくれた友達

サポートしてくれた親戚

覚えているのは暖かい人達のことだけ。

からも愛されたお母さんだったから、そんな人の娘だったから、

みんなが優しくしてくれたんだと思う。

今は、旦那と二人で幸せ暮らしてるよ。

私は誰かのお母さんにはなれないけど、お母さんみたいな人になりたいと思うよ。

優しくて、しっかりしてて、甘じょっぱくておいしい卵焼きを作る、そんな人に。

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