フェミニズムや弱者男性非婚問題において、時々語られる「同性同士の人間関係による寂しさの解決」について考えている。
この手の話がでる度に、女性からは「同性同士の人間関係で孤独感を埋められないのは、男性側の怠慢だ、女性は行なっていることがなぜできないのか」と非難がとび。
男性からは「男性は男性とのコミュニケーションによる孤独の解決を本能的に望んでいない、望んでいるのは性的関係を内包する人間関係であり、それは生得的な形質だ」と怒りの反論が行われる。
成人男性は家族以外と支え合おうとしない、というのは日本社会において、現実的な事実だと思う。そのため家族を作れない男性は孤独に陥る。
ならば、なぜ男性は家族以外と支え合おうとしないのだろう?男性はどうして男性に興味が持てないのだろう?
男性同士で支え合って生きていけば…と提案したとき「男なんて興味ない」「(自分もおっさんと分かっているが)おっさんと近づくなんて気持ち悪い」というのが多くの男性の正直な心象なのではないだろうか。
もしこれが本能に根差すものであるとしたら、孤独な男性を生かす方策は「友情工学」意外に何かないのだろうか(いや友情工学自体成り立たないのだろうか)
衆道の契り
メッスに取られたアルファオスのチンポを取り返すんや、令和の下剋上や
オッス♂オッス♂