ミソジニーに対してフェミニストによる「単なる女性嫌悪などでは全く有り得ず『家父長制秩序に従わない女性』に対する「処罰」行為こそが、ミソジニーである」っていう説明は正鵠を射たものだと思う。 どんな人間がどんな正義に基づいてどんな女性を「殴っている」かを見るなら、見る限りではこの説明が一番説得的な解釈だ。
一方ではてなブックマークに時々ブクマされてくる、すっかりミソジニスト界の一員と見なされる様になった「オタク」への軽蔑を込めたツィート等を見てて思うのは、そろって「下等なオタク風情が…」っていう悪意が下地にあることで、これはミソジニーにおける「女の分際で…」っていう謂れのない「正義の悪意」に対応する様にも見える。
往々にしてそういうオタクへの悪意を表明するアカウントが「自分もオタクである、オタクに近い」と主張することもあり、実際それは嘘でも勘違いでもない場合が殆どだと思われる。 悪意の表明は全てのオタクに向けたものとしか読めなくても、実際にはそうではない。
「大声で戯言同然の主張をする、自分の頭の程度を辨えない低能オタク」が表現の自由戦士などといった蔑称を付けられて憎まれ、罵られているのであり、これは家父長制意識にどっぷりの人間による「辨えない女」への悪意=ミソジニー の鏡映ではないかと思うのだ。