■社会のやまい、精神のやまいは区別されるべきだ
ネトウヨ、「ツイフェミ」は社会的なやまいだと思う。
彼らは「ぼんやりとした不安」が原因で「神経症的に」爆発する人といえる。
「不安」や「怒り」になる事案を(積極的に!)探し求め、「不安」や「怒り」状態になることで
(かえって!)「安心」している。
京アニ事件の被疑者も社会的なやまいだと感じた。
被疑者は他人と関わりがないことで、思考の「負のフィードバックループ」に陥った。
(エコーチェンバーともいう)
自分の作品をパクられたかもしれない→パクられたに違いない→パクられた!許さない!
これは誰か(リアルで)相談する人がいたら
「ンなわけねーだろ」で一蹴されて終わり、だったかもしれない。
つまり、社会的なやまいである。
『ルックバック』の描写も、
「統合失調症」ではなく、ネトウヨ、「ツイフェミ」、京アニ事件に近い、
社会のやまいの描写だろうと感じた。
社会のやまいは「社会」を変えない限り、「一定確率で」「誰にでも」やまいに罹る可能性がある。
社会のやまいは、精神のやまいといわれる
「統合失調症」とは区別されるべきだと思う。
Permalink | 記事への反応(1) | 09:29
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医者がヤるのもどうかとおもうのに、ましてや素人が病名ふやして悦に入ってるのになんか意味あんのか?それで解決する?