2021-05-01

無い手札にとらわれても疲れるだけ

「こいつはいつでも殺せると思うと許せる」

「『死にたい』を『殺すぞ』に変えよう」

という主張を見かける。

一時自分賛同実践していた。

でもそれは疲れるだけだと思うようになった。

 

自分殺人なんてしたくない。

個人的道徳観は関係なく、殺した後の生活に満足できないからだ。

人殺し社会が許さない。

逮捕に怯える毎日か、刑務所で暮らす日々。

あるいは死刑に怯える日々。

まり一生そいつの死に囚われる事になり、激しく後悔するだろう。

そう考えると、俺には人殺しは無理だ。

無理というより、使える手札にない。

手札にないもので「あいはいつでも殺せる」などと妄想すると疲れる。

結局、殺せないから。

結局あいつ殺せないのに、なに殺せるとかイキっちゃってんの、と虚しくなる。

何も進歩しない。

ただ憎悪けが残り、脳へのダメージとなるだけ。

 

手札にある方法だけでやりたい事をやるのは難しいものだ。

でもだからといって無い手札を持ってるかのように考えるのはデメリットしか無い。

からもうやめた。

俺には俺の戦い方がある。

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