実体験として、自分が一時的にはまっていた自転車にはもうすっかり乗らなくなってしまった。
コロナだとか通勤が車に変わったとか家族が増えたとか色々ある。そこで思ったのは、自分の価値観というのは自分だけど決定づけられる要素が少ない、ということ。基本的に周りの環境に合わせて動いている。渡り鳥が風のながれに乗っているのと同じように、自分だけで進路を決められない。風が止んだらそこで休息する必要もある。
そして自分は価値観が変わったことを受け入れることが中々出来なかった。だから外部に理由を求めている。価値観が変わったのではない、周りが変わったからだ。でも実際は「外部の環境変化=>自分の価値観=>自分の行動」と繋がっている。価値観は揺らがずに周りだけ変わったと思い込んでいる時期があった。
自分の中で確固たる価値観はいくつか存在する。だけどそれ自体が不変だと思っていたらいつのまにか変わってしまっていることはある。
ポケモンで言えば、初代からずっとやっているけどシステム面もビジュアルも大きく変わって、だけど飽きが来ている面が強い。それが自分の劣化や価値観の揺らぎなのはわかっているが、どうしてもゲームに原因を求めてしまう。俺はこういうものが好きだったはずなのに、と。
朴訥な意見だけど、怖いな。