NIKEの件というより、それに触発された人で「日本に差別はない」発言を見かけたことへの違和感。
古くはえた・ひにん、近代はアイヌ・琉球人、そして朝鮮人、在日。日本にはずっとわかりやすく現代まで続く差別があるのに、それを「日本に差別なんてない」って言ってる人がいるのは不思議で仕方ない。
日本に限らず世界中どこにでも差別があって、それが世の当たり前だったんだから、それが現在まで続くのはおかしいことではない。嘘つく必要ないでしょう。過去の価値観で行われていた差別に現代の価値観を当てはめても不毛。現在の価値観で過去を見るなら、現状をよくするための学びとして見る。差別は良くない、これが現在の価値観。その上で被差別者が声をあげているなら、話を聞いて冷静に考える。
まあでも、NIKEの件で自分が確認した限りでは、日本には差別があること、差別は良くないことは大体の人が当たり前にわかってる話し口に感じた。だからここで批判した「日本には差別ない発言」は僅かだと思ってる。多くの人はNIKEのCM内容に対して、差別のあるなしではなく、表現内容に関して論じていたと思う。しかしいわゆるリベラルの極端な人は「日本には差別ない発言」を謎に大きく取り上げている気がしてそこも違和感。