https://note.com/lingfieldwork/n/nefd96c0b8e71
いや、物事がなくなるのは悲しいことだ。言葉が失われることはその文化や人種が消えてしまうともいえるだろう。
これは植民地支配や同化政策とも同じで民族の多様性を失わせることにもなるだろう。
が、だ。
なんか、ピンと来ない。関西弁だってなくなるって言う。テレビの影響かしらないけど。みんな東京弁になる。
しかし、アマゾンの奥地の少数民族やチベットの少数民族だっていなくなる。自分たちが気づかないうちにいなくなる。
むしろ、そうやって文字も残さず消えていった民族だって多かったはずだ。
なくなることははかない。だが、それをすべて押しとどめるには私たちに力はない。歴史に血を通すのは言葉だろう。しかし、なくなることに情緒を見出さなきゃならんのだろうか?
なくなることに情緒を見出さなきゃならんのだろうか? と言ってるところを見ると、きみ、その記事を読んでないだろ。(情緒?)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/lingfieldwork/n/nefd96c0b8e71 いや、ブコメ見ててなんか、感傷的だなぁと。 この記事もアーカイブとしての言語学なのか、地域の人のアイデンティティのための...