2020-08-07

高いものを食わずに生きようと思う

たとえば3万円あったとして、まず3万円の寿司屋にいくとする。

3万円の寿司はうまかろう。うまいし、なんというか趣向が凝らされていて、ただ食べ物を腹に入れるってだけではなくひとつ芸術として完成された寿司の姿に感動を覚えるかもしれない。

その後の人生でもときどき思い出すことになるだろう。「やっぱこういう安い寿司と比べてあの寿司はすごかったな」「高い飯ってすごいんだよなあ…」

一食の寿司人生に爪痕をのこす。大変よろしい。すばらしい体験だ。

一方、その3万でスシローに行ったらどうなるか。

110円の寿司が270皿食える。これはとんでもないことだ。おれは回転寿司では基本的にどんなに食いたくても10皿を上限と定めているが、そんなセコい縛りともオサラバ100皿食ったって上限の半分にも届かない。たぶん現実的に食えるのは15皿、限界まで詰め込んでもせいぜい20皿くらいだろう。

まり、実質無限に食えるということだ。「スシロー無限皿注文していい」と「スシローで270皿まで注文していい」は俺にとって同義だ。新幹線に轢かれて死ぬのもリニアモーターカーに轢かれて死ぬのも同じ、というのにも近い。オーバーキルオーバーした部分は無いのと同じだ。

25皿あたりから実質無限皿になると考えると、スシロー3万円は実質無限スシロー5回分くらいということになる。

素敵だ。

 

絶対スシロー行ったほうがいいんだよな。なぜならスシロー人生に爪痕を残さないから。「3万円の寿司すごかったなあ」「あの寿司がまた食いたいよ…」そういう未練まみれのミジメな生を送るか、「無限スシロー5回やって楽しかったなあ」「つか回転寿司うめー!最高!」ステキな思い出だけ抱えて楽しく生きるかってことだ

俺は後者を選ぶね

寿司だけの話じゃねえ

なんでもそうだ

高いものは食わない

その金で安いものばかり食う

知らなければ苦しくないか

世界を広げようなんていうのは強者、持つものの言い分だ

俺みたいなのはできるだけ世界を狭く保つのがいい

上は見ない かといって下も見ない

手の届くもの最上で、その先はない

俺は無限スシローを5回食うぜ

それが最高の寿司から

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