僕はふと伸びてきた髪を掴んでみて、散髪されたくなったので、出勤前に近所の1000円カットに行った。いつもは昼前なら並ばず髪を切ってもらえるのだが、今日は運悪く少し待ってから鏡の前に案内された。あとはなすがままにカットされるだけだ。
いつもの不愛想な兄ちゃんではなく、初見のオバサンがハサミをチョキチョキ、バリカンをバリバリやってくれた。基本的に理髪店では絶対に世間話などしない。けれどオバサンはどうにも話し上手だったようだ。頭蓋骨の形によってできない髪型とかバリカンの使い方とか楽しそうに語ってくれた。なんとなく、それが嬉しくて、あれこれ理容室について聞いてみた。特に印象的だったのが、「髪を切って形を作るのって楽しいものですよ」っていう話だった。たしかに、場末の1000円カットだけれど、オバサンはきっと髪を切りたくて理髪師になったのだろうなあ。そう思うと温かい気持ちになった。髪を切りたい、という人がいて髪を切られている人もいる。それが理髪店なんだ。
僕は人の髪を切りたいと思ったことはない。いや嘘をついた。美少女の髪型を整えてみたいと思ったことはある。まあとにかく髪を切って生きていくということは考えたことがない。なるほど、そういう生き方もあるのか、という心地の良い気づき。
そして、僕は目をつぶったまま返事をしているうちにカットは終わった。そして、恒例となった小さな贅沢である1000円カットでの洗髪(500円)をしてもらった。他人に髪を洗ってもらうのは本当に心地いい。そして多少の金を払う価値があると僕は確信している。
こんなに気楽なコミュニケーションは初めてだった。あのとき、マスクをしたオバサンは間違いなく天使様でした。1000円カットの天使様だったのです。