2019-06-17

私たち普段、街なかを歩いているときにすれ違う人たちが自分に悪意を持っているとは考えない。

何かの場面で、何かの違和感から怖い想像をしてしまうことはあっても、大抵勘違いで何も起こらない。

しかしある人たちは、周りが過度な悪意を自分に向けており、切迫した危機的状況に自分があると「確信」してしまう。

そういう病態がある。

その「確信」は他の人から見たらバカらしいかもしれないが、いずれも根拠がある。

一瞬の視線言葉、表情、どんな情報でも根拠になりうるし、根拠を探しだしたらいくらでも取り出せる。

G20が近付き警戒態勢が強まる街なかに対して、警戒されるもの自分であると「確信」してしまったのではないか想像した。

そういうぎりぎりで生きている人たちがいて、そこに配慮がなかった、という視点が全く無くていいんだろうか。

少なくとも、一人を責めるのはつらすぎる。

日常において、他人の悪意が自分を殺そうとしていると「確信」してしまうことの生きづらさ、その世界観に生きてしまうつらさは本当に想像を絶する。

彼にも、彼の周囲にもどうかこれから平穏があって欲しいと願う。

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