わたし、定時で帰りますというドラマが最近放送されているのは、言い換えれば世間に対して個人として存在できる強い自己を持つ人間像を、現代の日本人がヒーローのように見ているからではないのか。
ヒーローは敵たちをバッタバッタとなぎ倒し、自身の正義を貫いていく。そうしたヒーローの姿を目にしながら、観客たちは自身の無力さと対比されるヒーローの強さに圧倒される。そして自らを彼の姿に近づけたいとも思う。
しかしそのような強い自己を持つ、すなわち西欧的な個人の考えは絶対神もおらず、風土も異なる日本にそのまま適応することはできない。日本はどこまでいっても世間に対しての和の国なのである。そして世間の暗黙のルールにただ従うことしか出来ない。
まず私たちが始めるべきことは、日本は他国に遅れる事を嘆く事以上に、日本独自の風土や慣習を文字のようにはっきりと見える形で表して認知していく事、そしてそれを認知するための健全な、いわば自国を写す鏡としての他国比較であるべきなのではないか。
>日本独自の風土や慣習を文字のようにはっきりと見える形で表して認知していく事 いやいやそっちじゃなくて >世間に対して個人として存在できる強い自己を持つ こっちの方が大事...
でもキモくて金のないおっさんが世間に対して個人として存在できる強い自己を持とうとすると周りの人間のことを考えて遠慮しろとバッシングしてしまうんですよねわかります