前はふとした合間に死にたい死にたいと頭の中で呟いてて、でも子どももいるし、自分一人の都合だけで死ぬわけにはいかない、だから、死なない、という結論になってた。
友人は自分で死ぬことを選んだのに、なんで私はまだここに生きてるのかと違和感ばかりあって、頭の中がぐるぐるしてた。
そんな時偶然にスピリチュアル系の人に会えた。
亡くなってしまった友人の話もした。
あなたはこれだけ強い守護霊(騎馬武士)がいて、さらにお友達もいるんだから、大丈夫、好きなことをしなさいと言われた。
だけとも違和感が拭えないのだ、彼女と私は似ていて、彼女は死ぬことを選んだ世界に、なぜ私は生き残ることができてるのか、わからない、とつぶやいた。
そうしたら、
お友達がいなくなることを選んだ世界だからこそ、あなたは生き残るべきなのよ。
生き残って、死ぬときがいて、お友達とあの世であったときに、わたしは生き残ったんだよ、と誇らしげに伝えなさい。あなたができなかったことを、わたしが代わりにやってあげたよ、と笑顔で伝えなさい。
そんな再会が望ましいに決まってるじゃない。
そう言われ、目が覚めたようだった。
あの子がいなくなったからこそ、私はここで生きていても良い証明をすべきなんだ。
それがわかったら、死にたい死にたいが、ゆっくり死に向かっていくんだ、という気持ちに変わった。
死ぬために生きてる。
死ぬからこそ、生きてるっていう過程を充実させる必要があるんだな、と。
ゆっくりゆっくり、好きなこと、楽しいことをたくさん味わって、死に行きたいと思う。
今度やっと友達の遺骨に会いに行ける。
しっかり手を合わせたいと思う。