2019-02-20

anond:20190220133945

研究勉強というものは、本当は個人的な営みだ。だからひとりでもできるし、現に私は趣味研究をやっている。

個人研究から経済的価値はなきに等しいし、私財でもって進めるのだから局所的には赤字ですらある。しかしやめられないほどに充実感のある営みだ。私は研究が好きなのだ

しかしながら誰にでもできるかと問われれば否である。やり方を知らなければできはしない。取り組みがいのある有益テーマ発見することは難しいものだ。

これを可能にするのが果たして高等教育である。私はすでに大学卒業しており、その経験をもって断言するが、高等教育を受けなければ私が個人的研究をすることはできなかったはずだ。

社会人大学に通い始める者は意外にも少なくない。大学への進学を大いに勧める。

おそらく大学というものあなた想像しているものとは相当に異なるが、必ず有意義経験をするだろう。

記事への反応 -
  • 初めに言っておくと、これは田舎育ちのメンヘラが自己の正当化のために吐き出した愚痴でしかない。 1年以上前に書いたものだし当然フェイクも混ざっている。 貧乏は遺伝する。 あ...

    • 研究や勉強というものは、本当は個人的な営みだ。だからひとりでもできるし、現に私は趣味で研究をやっている。 個人の研究だから、経済的な価値はなきに等しいし、私財でもって進...

    • IMAKITA そんなことが許されるのは大学くらいだと思う 大学へ行きたかったと今でも私は思う

    • 通い続ける、というのも一種の社会性だったりするからね。実際進学できたとして更に大きな傷を負うことに成ったかもしれない。

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