人殺しと一言で言っても種類がある。
大きく分けて、※個人のための人殺しと、※社会のための人殺しがある。
人類の誕生から現代に至るまで、大抵の※人殺しは社会のための人殺しだ。
個人のための人殺しは、社会によって悪とされてきた。
社会のための人殺しは、社会によって善とされてきた。
人殺しが悪とされるか善とされるかは、社会によって決められる。
動機が個人的(独善的)であれば悪とされるし、社会的であれば善とされる。
より多くの支持を得られれば、人殺しは歓迎される。
しかし、ここにきて※人権という思想が生まれた。
社会は、社会自身を守るために社会内の異端的個人を
「社会のための人殺し」によって排除してきた。
社会は、人権を認めてしまえば社会の破滅を招くと考える。
つまり、社会には人権を規制する動機があるのだ。
結論として、人殺しは悪。例外として人権の無い社会では善となることもある。
※個人=知覚、思考、表現を取引できる人類。
※社会=①複数の個人の集まり。②社会内の支配階層社会、個人。
※人殺し=①人ではなくすこと。②命、知覚、思考、表現を支配的に規制すること。
※人権=すべての人殺しを一緒くたに否定し、悪とする思想。
Permalink | 記事への反応(0) | 13:13
ツイートシェア