他人に自分の研究を満足に説明するということは、人を分かった気にさせることと殆ど等しいと感じるようになってきた
通常人に物事を説明する際には余分な情報を省いて必要なものだけを伝えると思う
聴衆が知りたいこと(基礎的なこと、研究概要)と講演者が伝えたいこと(専門的なこと)が食い違う場合には、概要を正確さを欠いてでも手短かに話し、専門的なことを話さなければならない
概要に時間を割くと時間内に話しきれない上、質問時間も概要に関する質問に食われてしまう
そういった同じ研究室の人間にすら分かった気にさせる説明をしてきた中で、自分も同様に分かった気にさせられてきたのだという考えに辿り着く
真に研究や、物事を理解するには講演を聞くことや噛み砕かれた文章を読むことではまるで足りない
学術書や論文などを自ら積極的に調査しなければ分かった気になって知ったかぶりをすることになる
自分が今まで読んできたNewtonやブルーバックスなどの一般向けの書籍も、分かった気にさせられてきただけと考えると、そういったものを読むことが全て無意味に覚えてくる
どこまで行けば「分かる」ことになるのか分からない