「可能性の問題として存在しうる時点で、ゾーニングは必要」をはじめ、自明でないことを自明だとする論調が目立つ。
「ゾーニングでは表現や買い手の権利は侵害されない」というのは最大のミステイク。
筆者が例に挙げてるR-15やR-18は性質上、買い手や売り場を制限し流通にも影響が出る。売れる数も変化するため表現としても避けられやすくなる。
「侵害」されるのだ。
結局この問題は「確実に侵害される表現側の権利」と「侵害される(エビデンスなし)側の権利」のシーソーに過ぎない。
そして「侵害される」と主張する側が「侵害」の実態やその被害の実態を客観的エビデンスなしで表明できない以上、
もう一点。
「可能性の問題として存在しうる時点で、ゾーニングは必要」「トラウマになる女の子が一人でもいる時点で、倫理として対処しなければならない」
これが受け入れられてしまうのなら、世の中からすべての表現が消え失せるだろう。
性的シーンや残虐さはR指定の根拠にもなるように、一定数存在しているとみなされてるので可能性レベルでも規制されてるわけ。すべての表現と一線が引かれてるのも理解してない結論...
この主張をしているブレンダという人は一方では女性向のBLは擁護していて、党派性丸出しなのがウンザリさせられる。仮にBLでゲイの男性が傷つけられてもBLが許されるのは読...
主張がおなじだからコイツはBLに文句いわないに違いないんだぁ!と思ってるバカがいるけど、当然BLも売り場区分しろよ