2018-09-19

anond:20180919164622

可能性の問題として存在しうる時点で、ゾーニング必要」をはじめ、自明でないことを自明だとする論調が目立つ。

ゾーニングでは表現や買い手の権利侵害されない」というのは最大のミステイク

筆者が例に挙げてるR-15R-18性質上、買い手や売り場を制限流通にも影響が出る。売れる数も変化するため表現としても避けられやすくなる。

侵害」されるのだ。


結局この問題は「確実に侵害される表現側の権利」と「侵害される(エビデンスなし)側の権利」のシーソーに過ぎない。

そして「侵害される」と主張する側が「侵害」の実態やその被害実態客観的エビデンスなしで表明できない以上、

どうして他人権利制限することが許されようか。


もう一点。

可能性の問題として存在しうる時点で、ゾーニング必要」「トラウマになる女の子が一人でもいる時点で、倫理として対処しなければならない」

これが受け入れられてしまうのなら、世の中からすべての表現が消え失せるだろう。

ある小説ドラマ漫画が「トラウマ可能性」と絶対にならないとどうして言い切れる?ニュースは?あるいは些細な雑談は?

規制派は自分たちロジック(未満の何か)をもう一度よく考えたほうがいい。

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