他人の思考をあまりに推測するのは失礼にあたる。他人には他人の考えがあり、それは自分には不可侵であり、また多くの場合想像も及ばない。勝手に思いやってもそれか間違っていて、的外れになるのもありそうな話で、その結果相手に余計負荷を与える可能性があるからだ。なので、目に見えない限り基本的に存在しないものとして扱い、目に見えた場合に可能な限り誠実に対応するというやり方をしてきた。基本的に相手の気持ちは好意的に解釈するようにしている。あるいははなからないものと仮定する。目に見えない限りは。
だが、その考えもどうやらよくないようだとわかってきた。
目に見えないがそこにあると言う前提で行動すべきだという。自分の一挙手一投足が、相手の気持ちを動かしているのだという(目に見えない反応であるが)。わかる話だ。でもその場合、不安がある。自分の一挙手一投足が尽く相手に不快感を与える可能性がある。その場合、目に見えない相手の気持ちを思いやるには、みずから生命を断つべきという結論に辿り着きはしないだろうか。なるべくなら生きていたい。けれど他人に対して親切でもいたい。
人間は互いに傷つけ傷つけられる自由があるということだろうか。ならどこまでならよいのだろうか。金と生命と誇りを損ねない程度なら互いに傷つけあってもオッケー?
誠実であろうとするのは自分の中で完結する思い込みなのでどうとでもできる。だが自分の在り方を規定するにあたって他人の気持ちをという不確定なものを考慮すると変数が大きすぎて思考を制御できない。
人と触れ合うと不確定要素が多すぎて予測はできない ただ快不快の期待値がプラスなのかマイナスなのかだ マイナスなら触れ合わない方がいいだろうしプラスならなるべく多くの人と触...