「点と線」の舞台になったような町に、魚久という割烹旅館があった。
障子の向こうには海岸線が広がっていたそう。
明治の頃から、旅に祝い事にと、人々の色々な瞬間を見てきたその旅館は、
戦争の頃には、旅立つ若者を送り出す宴なんてのもしていたそうで。
海岸線はだんだんと遠くになってしまって、街の景色も変わっていって、
ある時、隣の醤油屋の煙突の灰のくすぶったのが原因で本館は火事に見舞われて。
どうにか別館だけは残ったものの、割烹旅館は廃業してしまった。
残った建物は、
部屋はたくさんあるものだから女子学生の下宿なんかになったりして、
そのあとは、時計修理の修行を終えた若者が新しく店を出したり。
それから40年、その若者はそこで家族をつくって、そこに住むようになって、
旅館と呼ばれていたそれは、面影もだんだん薄れて、家となった。
そして、その家も、数年前に街の区画整理で、建物としての幕を閉じて。
やもすると、ここにそれがあったなんてことは、
あと一世代も廻れば誰も覚えていなくて、
本当に誰の記憶にも残っていないんじゃ?と、ふと。
でも、言われてみれば、建物の一生なんて、いろいろな人の人生を見守りこそするけれど、
人の記憶に長く残る建物なんて、由緒あるほんの一握で、手からこぼれたものたちは、
だんだんと覚えている人も減り、最後には誰の記憶にも残らないものになるのだろうな、と。
ただ、その、一握にまではならなくとも、
なんか良い増田を読めた。 自分は古地図と照らしながら散歩するのが趣味で、 人が忘れてしまっても土地には何らかの記憶が残るんじゃないかと思っています。 こういう話しって大好...
地元に数ヶ月ぶりに戻ると、明らかに初めて見る光景。 以前何が建っていたか、もはや思い出せない。。
点と線の舞台というと福岡県の香椎という街で、自分が学生の頃通学でよく通ってた。 あのあたりで醤油屋といえば移転して香椎宮の近くに行ったけど、そう言えば移転前は駅近くにあ...