悪気がない人は、責めるとこちらが悪者にされるので嫌なのです。
例えばの話です。
私はパスタが嫌いです。
3人で集まって、お昼何を食べようかという話になって、私はパスタが嫌いだからパスタ屋以外にしてくれと言います。
でも友人2人は「このお店、ピザも2種類あるよ。だからここにしよう!私はパスタが食べたい!」「私もパスタ食べたい!そこにしよう!」と言って、自分たちの意見を押し通すのです。
そこに悪気はないです。寧ろ、「パスタ以外のメニューもあるところを選んだ私たちは、あなたの意見に譲歩した!」という気分になっています。
でも、私は好き嫌いがちょっと多くて、食べられない野菜があります。
お店に行って、メニューを見て、2種類のピザの上にそれが乗ってたら食べられません。その野菜だけ退ければいいでしょ、という話じゃないです。わざわざ注文して、そんな失礼な事したくありません。
ちゃんと全部、美味しく食べられるものを注文したいです。
2人は沢山の種類のパスタから、好きなものを選んで注文して楽しいでしょう。私は仕方なくサイドメニューの小さなパンを注文して食べました。
それに気づいても、あまり気にしないというか、罪悪感を抱かないのです。この二人の中では、折角存在するピザを食べないのは、単に私のワガママになるのです。
私の「パスタは嫌いだから、パスタ屋以外の店にしてくれ」という意見は、2対1の多数決で負けて棄却されてしまいました。
2人と遊ぶと毎回そうです。3人いるのに、2人の意見が一致したらそれになり、もう一人(色々考え方が違うので、ほぼ私です)はそれに付き合わなくてはいけないのです。
2人で決められる意見に辟易し、嫌だと断ると「3人で行きたいのに、なんでそんなこと言うの?」となります。私がわがままで、おかしいのだと暗に責められるのです。
それ100%おまえの偏食の問題じゃん。 どういう教育受けてきたの?
逆にお前が多数派になってることってないの? そのときに少数派を無視してるのならお互い様 そうでないのならその二人とは距離を置いていい
まずその多すぎる好き嫌いをなんとかしてから言えこのスカポンタン