2017-09-18

公共の場所に溢れるエロ特定集団への排除である

結論を先に言おう。排除されているのは性嫌悪という病気の人たちである

ラディフェミの人たちはしばしば、「公共の場エロを見ると自分もそういう目で見られているのかと嫌悪感を持つ」とか「ポルノ女性を性の対象として固定しようとする風潮を助長する」などと批判するが、

前者については「俺が性の対象として見ているのは篠崎愛ちゃんであってお前ではない」、後者は「根拠があるのですか? イスラーム圏などでポルノをほぼ排除している地域でも女性を性の対象とだけ扱っていることは多いなどの反例の方はいくらでもありますよね」

などの反論が考えられるし、実際にその反論にも一理はあると思う。

だが、世の中には、エロを見るだけで身が引き裂かれるような激しい嫌悪感に襲われる人達がいる。そのことは忘れてはならない。

公共の場エロは、(掲示する側にそのような意図があるかは別として、結果的に)「エロを見るだけで苦しむようなヤツは社会に出てくるな」という排除となっている。

「性嫌悪は病気なんだから治療すれば良いじゃないか」。確かにその通りだ。だが現実には、街中でもエロが溢れすぎており、「治療に行く過程で目にするエロ苦痛なので治療にも行けない」ような事例もあるのだ。

そのことを踏まえた上で、公共の場エロはどのようにあるべきかを考えて欲しいと思う。

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