2017-06-11

なんで足りない物を数えてしまうんだろうか

時間は有限だし世界は広いし身体は1つ。

出来ない事だらけやってない事だらけになるのなんて当たり前だ。

人生はどこまでも選択連続で、それは可能性を切り捨てて突き進む道だ。

そんなのとうの昔に分かりきってるはずなのに、どうして未だにウジウジとそんな事に悩んでしまうのか。

世界の広さなんてとっくに知っているのに、何でその全てを手に入れないと気が済まないような衝動に振り回されるのか。

手に入れられた物よりも手に入れられなかった物を比べてみれば、手に入れる事ができなかった物の数が圧倒的に多いのだから後悔するのは当然だ。

他人人生をあれもこれもと羨めば、1人で74億人に挑むような無謀な勝負に出る羽目になってボロボロ返り討ちだ。

分かっているのに不安になる。

自分人生が正しかったのか怖くなる。

怖がる時間楽しいことを考えろと言う自分と、そうして怖がる時間も大切だと言う自分が分裂しそうになる。

身体1つ心1つ人生50年で渡るには世界は広すぎる。

そしてその広すぎる世界は日々広がる。

人の営みが人に文化提供し、歴史提供し、情報提供する。

誰もが創作と呟きを可能にする時代において、それらの一日分を読み漁るだけでも、1人分の人生を覆い尽くせる気すらする

割り切らないとやってられない。

だけど、割り切ることを目的にすればただ楽な方へと流れてしまいそうになる。

少しでも豊かな方へと辿り着きたいが、豊かさばかりを目指せば目移りしすぎて思い悩む。

どう生きればいいのかがこの年になっても分からない。

今までの人生をどう生きればよかったのかを悩むのはやめられても、これから人生をどう生きればいいかを考えない訳にはいかない。

ちっぽけな1人の人間のくせに、自分人生においては主人公として振る舞わないといけないというのは実に重苦しい。

道を必死に選ばなければきっと後悔し、道を必死に選びすぎれば自分を見失う。

力の加減が難しい。

俺には人生は難しすぎる。

なぜいきなり本番の人生を与えられるのか。

まれる前に3回ほど練習させておいて欲しかった

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん