宮﨑駿や富野由悠季は日本アニメの始まりからアニメ業界に身を置いているので
自身の身体性や社会と接続された現実のものとしてアニメを作ることができる
だがアニメの視聴者としてアニメを虚構として受け取りながら育った庵野などの世代は
どうしてもアニメに対して現実感を抱けず、批評的に突き放してしまうか、虚構を再演することしかできない
一方で成人してからアニメに触れ、別業種から転職してきた押井守はアニメに対して特殊な距離感をとっており
現実派の監督は絶対的自信があるから厳しく頑固であるし虚構派の監督は居心地の悪さを感じており苦しそうである
ド現実派の片渕監督は庵野と同い年なんだが…仲良さそうだよ
黎明期のクリエイターもアニメはなくて漫画少年映画少年ではあることが圧倒的に多いから虚構大好きやで
片渕さんが絵コンテ担当してる回のCCさくらの未来少年コナンみたいに走るシーン好きだわ
今敏や押井守が現実と夢の混在が好きなのはディックなどの影響が大きいので、来歴とは一概に言えない。 宮崎と富野が特に現実に根ざしたというわけではなく、不器用だからこそ現実...
現実と接続してるかいなかってのがすごく抽象的だな 演出・作画的なものなのかシナリオやキャラクター造形的なものなのか フルアニメーションかリミテッドアニメ的な話なのか 宮崎...