何でもかんでも疑念をいだいて、色眼鏡で見ようとしなきゃいいじゃん。
『自分たちの周りでそういうことが起こっている』
という話を聞いた。それだけでいいんじゃない。
本当は関心がないのに、コメントするから、脊髄反射的って言われるんだよ。
動物かよ。
24時間のテレビの件だって、偽善な番組でもそれで助かっている人はいるわけだ。
ただ、疑念を抱く人たちの手によって、それは偽善な番組にさせられているわけだ。
これは、NHKがもしも隠蔽したというなら、やっていることは同じだ。
相対的な貧困は隠蔽して、絶対的な貧困でないなら、貧困ではないという意見は
隠蔽していることとなんなら変わらない。
結局その記事を上げた者、特定者に踊らされている過ぎないわけだ。
そこで関心を持てば貧困について少しは調べるはずだ。
どちらにしても、良い面もある。それを無視して悪いところばかり叩いてもしかたないだろう。
なんなの、褒めるの疲れちゃった? クズ上司の部下か何かかよ。
どうでもいい 社会なんて。って考えてればいいと思う。
それでも、いつか社会を救うためにと思えるなら、こういう疑念は自分を病む原因になるから考えない方がいい、
なんなら、こんな社会は壊してしまえ。と思うレベルになる可能性もある。
あれーどこで心の育て方間違えちゃったんだろうとか思う前に引き返すほうがいい。
その場合、「より良い方法」というのは誰が考えるんです?
誰が考えるかわからないけど、それはネットで記事を見てなんとなくコメントした人の確率は低いでしょう。 だからって自分はそのネットでコメントを書いた人全員を否定したいわけで...