2016-08-18

コミュ障を極めすぎたのでそろそろ治したい

昨年の話になるが、ネット上の知り合いにイベント会場で名乗り出るという、所謂オフっぽい顔合わせをした。ほんの5分程度、話しただけだったが、直後に激しく後悔した(が、何とか開き直った)。どうしても、キモイ奴だと思われたんじゃないか、他の人と笑いものにしてるんじゃないか、とそんな光景ばかりが浮かんでしまう。

その人は別段、態度を変えることもないし、むしろより親切になった気さえするから自分の卑屈さが本当に嫌になる。

これを切っ掛けに、他の人とも会えるようになれれば…と心の何処かで思っていたがやっぱり無理だった。上っ面の会話はできても、自分を曝け出すことも相手を気にすることもできないからすぐ話が終わってしまう。中身のある会話ができない。初対面で緊張していただけだろう、とも思ったが、先日も同じ人にイベント会場で会ってみて実感した。相手にばかり喋らせて自分は何も喋れない、喋る内容が何も思いつかない。いわゆる、同好の士である人だというのにだ。

他人と会話ができるというのは相手に対して聞きたいことがある、即ち興味があるということだ。ならば自分にそれができないのはつまり他人に対して興味を持っていないということになる。

然り然り、何も全く否定できない。周囲に壁を作り、そこへ引き籠もるだけの自分には他人との会話など、あまりハードルが高かった。


ここまで来るともう、不動に近い性格的な部分に根ざしているものだと思うのだけど、コミュ障治療ぐぐると出てくる怪しげなカウンセラー系というのはどこまで有効なんだろうか。そもそもにおいて、他人基本的に信用しない・限り無く敵に近い存在仮定する自分がそんな胡散臭い他人の話を聞けるのか。医師にはそれなりの敬意を払うと思うが、それとこれとは別に感じる。

全くイメージが湧かず、検討すらできないので、コミュ障治療した人の話を聞いてみたい。

記事への反応(ブックマークコメント)

人気エントリ

注目エントリ

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん