真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
「正直」であることと「正しい」ことはイコールではないからだ。
また、「正しいことを伝える」のも、「正しい」とは限らない。
「正しいことを伝える」ことで物事がよりよい方向に進まないのならば、それは失敗しているのさ。
当然、そのビジョンを見据えてすらいないで行動するのなら、それはただ「正直者」なだけということだ。
おっと、是非がないだけで別に「正しい」ことも「正直」であることも、それ自体は批難しないぞ。
私が不真面目で嘘つきであることを前口上にしているのは、そっちのほうが「正しい」からと思っているわけではない。
時に正直に、或いは嘘つきであるのは、多様な価値観が認知されている社会で人々が共生するために必要な処世術だからだ。
汚くて強い言葉を用いて物事を語ることも、綺麗な言葉を並べて物事を曖昧に表現して語ることも、それ自体は同価値だ。
つまり動機であったり、理由があって初めて「正直」であることも「嘘つき」であることも大きな意味を持つ。