2015-12-15

ノーミスを求められる人々

先日のニュースで、身の回りのものを盗まれたと通報したが、認知症扱いされて取り合ってもらえず、

別件で捕まった盗人の捜査で、ようやく本当に盗まれていたと判明した事件があった。

被害に遭ったのにこの扱いというのは、実にかわいそうな話だと思う。

しかし、認知症の症状として、この手の被害妄想というのが割とよくあるものらしい。

「調べてみたけど、やっぱ認知症のジジババの勘違いでした」という案件が、おそらくこの1件以上にゴロゴロしているはずなのだ

それらまで全部含めて、いちいち捜査するようなリソースがあるだろうか。

精神科医でもないのに、警察はそこまでノーミスを求められなければならないのだろうか、とちょっとやりきれない気分になった。

子供虐待死にしても、事件が起こるたびに、「誰かこの虐待を止められなかったのか、なぜ止められなかったのか」という話になる。

しかし、これは虐待の末に子供が亡くなったからこそ、そういう話になっているのだ。

じゃあ対策として、通報を受けたら児相はどんどん突入しましょう、先生家庭訪問しましょう、

で、そしたら実は紛らわしいだけで虐待じゃありませんでした、となったらどうだろう。

それはそれで、「無実の親に何やってんだゴルァ」と袋叩きに遭うわけだ。

私が公務員なら、こんなシビア仕事したくない。配属されようものなら、一刻も早い異動を願うことだろう。

仕事ミスがあっては困る。

しかし、過剰に責任ばかり重くして、許容範囲をごくごく狭めて、それで問題が解決するとも思えないのだ。

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