大衆というのは、とことん考えが浅く、どこか結論を焦りがちなところがありますよね。
けっきょく、彼らのやっていることというのは、自分にとって居心地の悪い意見を徹底的にたたきのめして、メディアがこの人はすごいとおだてる人を便乗してやんややんやと盛り上げているだけなのです。
そうはおもいませんか?
どうして多くの日本人(少なくともぼくはそう思う)って、自分の勘やあるいはフィーリング、第六感といったものを信頼しないのでしょうか。それに、自分で考えることをしない人も多いですよね。
たぶん、あなたの親や友達もだいたいは”大衆性”をもった人なのではないでしょうか。
たしかに、他人とちがう考えかたを持つというのは、とてもハイリスクです。しかし、その方が人生を気持ちよく生きることができると思いませんか?
こういうことを大っぴらに言うと(とくにネットでは)ものすごく叩かれます。まるで殺すぞと言わんばかりにぼくに嫌悪感をあらわにしてくる人もいます。
だから常識というレールから外れるのはすごく危なっかしいことなんだけど、今ってどうでしょうか?そんな烏合の衆の中に成功した人っているのでしょうか?いないですよね。
彼らが正しくない(少なくとも成功できるかどうかという方向性においては)という事実は、ぼくらマイノリティの正しさを裏付けてくれるのです。
いつまでも誰かの陰に隠れていては、何も成し遂げることはできません。