2015-10-24

考えることが苦手だ

考えることが苦手だ。こう書くと語弊があるかもしれない。

ゴールが既に決まっていて、それをより良く達成するために思考する、ということは得意とまではいかないが、苦手でもない。

例えば、学校テストだったり、型の決まりきった仕事であったりは、上手くこなそうとしさえすれば、なんとかなってきた。

だが、ゴールそのもの曖昧であったり、決まっているわけではないものに対して思考しようとすると、途端に、頭に靄がかかったようになる。

例を挙げるなら、休日の過ごし方だったり、将来の希望だったり、自由お金の使途だったり。

おそらく、自分価値観だとか好き嫌いを適切に把握さえできれば、それを最適化するゴールというのが自ずと定まってくるはずなのだ

そうなれば、こっちのものだ。けれども、自分には、良くも悪くも、好き嫌いというものがあまりない。

のめり込むものもなければ、かといって腸が煮えくり返るような対象存在しない。

事物に対する憧憬も無ければ、現在に対する劣等感も大してない。

から、どうもゴールを決めかねている。特別好きでもないことをゴールにする意義はない。現在嫌なことがないなら、ここから抜け出す意義もない。

いや、とりあえずゴールを設定して、それに向かって突き進むことが大事なんだ、という方も居るかもしれない。

それはおそらく正しい。とりあえずやってみることで変わる景色というのがある。ただ、それはやはり面倒だな、とここまで書いて実感した。

つらつらと書いてきたが、強いて言うならば、自分はなにもしないことが一番好きだろうと思う。

人生において、睡眠が一番好きな時間だ。なぜなら、その間何もする必要もないからだ。

ただ、睡眠無限にできるものではない。だから、ぼぉっと散歩したり、ずっとネットに張り付いたりして、できるだけ何もしないようにしている。

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