考えることが苦手だ。こう書くと語弊があるかもしれない。
ゴールが既に決まっていて、それをより良く達成するために思考する、ということは得意とまではいかないが、苦手でもない。
例えば、学校のテストだったり、型の決まりきった仕事であったりは、上手くこなそうとしさえすれば、なんとかなってきた。
だが、ゴールそのものが曖昧であったり、決まっているわけではないものに対して思考しようとすると、途端に、頭に靄がかかったようになる。
例を挙げるなら、休日の過ごし方だったり、将来の希望だったり、自由なお金の使途だったり。
おそらく、自分の価値観だとか好き嫌いを適切に把握さえできれば、それを最適化するゴールというのが自ずと定まってくるはずなのだ。
そうなれば、こっちのものだ。けれども、自分には、良くも悪くも、好き嫌いというものがあまりない。
のめり込むものもなければ、かといって腸が煮えくり返るような対象も存在しない。
事物に対する憧憬も無ければ、現在に対する劣等感も大してない。
だから、どうもゴールを決めかねている。特別好きでもないことをゴールにする意義はない。現在嫌なことがないなら、ここから抜け出す意義もない。
いや、とりあえずゴールを設定して、それに向かって突き進むことが大事なんだ、という方も居るかもしれない。
それはおそらく正しい。とりあえずやってみることで変わる景色というのがある。ただ、それはやはり面倒だな、とここまで書いて実感した。
つらつらと書いてきたが、強いて言うならば、自分はなにもしないことが一番好きだろうと思う。
人生において、睡眠が一番好きな時間だ。なぜなら、その間何もする必要もないからだ。
ただ、睡眠は無限にできるものではない。だから、ぼぉっと散歩したり、ずっとネットに張り付いたりして、できるだけ何もしないようにしている。