格差はできるよ。
資本が集約されて、その資本を以て経済活動を促進させるのだから、
資本で使われる人間と、資本で使う人間とでは格差が生じるのは当然だ。
使われる人間、使われる人間にさらに使われる人間との格差、もっと進むと、経済社会に組み込まれているけれど使われることさえない人間。
それぞれの格差はどんどん広がる。
良い点、悪い点を挙げることは重要だ。
少し飛躍するが、
格差に甘んじるのではなく、
住居については、かなり厳格な法整備や経済社会との連携があるから、
住む場所、そして活動さえすれば狩猟採集で生活はできると思う。
また、その者達の生きる活動があれば、
貧困と格差(という概念)は少しでも是正されるという考えです。
恐らく、貧困層の救済はそこにあるように思ったので。
狩猟採集社会ってのは、貯蓄がなくてその場暮らしで、むしろ原始的な格差社会そのものだろう。 それじゃただそう言ってるだけで何の意味もない。
格差はできるよ。 資本が集約されて、その資本を以て経済活動を促進させるのだから、 資本で使われる人間と、資本で使う人間とでは格差が生じるのは当然だ。 そして経済の抽象化が...