大阪で生活保護がプリペイドカード化されるニュースを聞いて、正しくはないけど適切なのかもなと思った。
ただ、"正しさ"は誰にでも理解できるが、"適切さ"はその人の立場や視座、時期などによって変化するので、監視/評価し続ける必要があり、さらにはどのように評価するかも単純ではないので、周囲の理解を得ることが難しい。とはいえ、今後ますます小さくなる公的リソースを有効に活用するには適切さという基準において、理解を得るための材料と説明が重要なのかなと思った。
#大阪の件については、自分は背景や状況がわかっていないので、本当のところ正しくも適切でもないのかもしれない。
#ただ、考えるきっかけだっただけ。それについて意見があるわけでもない。
ついでに、"適切さ" は "べき論" と戦うのにべんり。
「このシステムの挙動が正しいことを担保するにはあらゆる要素をテストするべき。」とか言い出す人に対して、「それは正しいと思いますし、異論はありませんが、現在のスケジュール/人的リソースを考慮した場合に適切かどうかについては議論の余地があると考えています。」とか返せる。正論を持ち出されると切り替えせずに過剰なタスクを押し込まれがちな人はおぼえていて損はないかと。
もちろん、そこで何が適切かを納得させられるだけの説明は必要になるけど。