2014-11-01

自殺を前提に人生を歩むと後には引けなくなる

ある程度の期間「どうせ死ねばチャラになるし将来とか考えずに今は遊ぼう」と考えて生きてしまうと後がなくなってしまう。

一時的な(といっても人生全体から見ればでありそこそこの長さはある)死にたさに身を任せて、

死ぬことを前提とした人生プランを描きそれに沿って歩んでしまうと元のレールに戻ることは非常に困難になる。

何年もの自由奔放な人生の末にふと死にたさが薄らいで普通人生に戻ろうとしても、

それまでの人生で溜め込んだ人生経験の貯蓄の少なさによって他の人間と大きく差がついてしまっている。

そのことに耐えられる程度にまで回復していればそれを受け入れた上で社会に帰れるだろうが、

まだそれを受け入れられるほど心の器が治っていないのならば溢れでた不安に溺れて元の「死を前提とした人生」へと帰ってしまうだろう。

世の中で自殺をやたらと禁止する風潮があるのは、もしかたらこの一度自殺しようとして生きた後の人生リカバリーの難しさにあるのかもしれない。

自殺を絶対にしない前提で生きる人生と、自殺をすることを視野に入れた人生では、生きる事への熱意に大きな差が出てくる。

その熱意の差が積み重なり、やがて取り返しの付かない人生の差になるから、世の中では自殺を(しようと考える事自体を)すべきでないと言われているのかもしれない。

自分人生を持ってようやくこの事に気づいた。

さてと、今日も辛い現実から目をそらすためにより苦しくない自殺方法について考えようか。

昨日は「睡眠薬単体では死ねなくても他の自殺方法と組み合わせれば苦しみを緩和するのに大いに役立つのでは」という事について考えた。

いまさらネタだと思うだろうが、しょっちゅう自殺について考えているかネタループして在り来りなネタについて何度も考え直す羽目になるのである

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