2014-10-09

イデオロギーに走った集団の物の見え方と現実

香港学生運動純粋に憤りを自分達の出来る方法として座り込みという手段をとった。

開始後数日間は多くの市民を巻き込んで相当数の動員をしたが、その後自体の硬直化と生活をしなければならない市民現実を見据えた対応により、学生達100名前後との報道がある。

これから学生達は自由を勝ち取るために何らかの行動を取ってゆくだろう。

その際、自己正当性を主張するために

「我々の主張に賛同した民衆は〇〇万人もいる」

と言うだろう

しかし、一般市民

「結局なにも出来ず数十人の迷惑集団じゃないか」

となるだろう。

これって、脱原発デモとかに似てませんかね?

話が噛み合わないのは見えてる世界が違うからじゃないか?というのが純粋香港学生達の想いから読み取れます

日本場合はその想いを利用する複数集団のおじいちゃん達がバックにおりますので、純粋な心理をレバレッジに暗躍しているので複雑でわかりにくいわけです。

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