2014-09-08

自転車は自由の象徴だった

思い出した.

自転車は自由の象徴だった.

いつもバス不自由していた.

時間が限られていて,待ち時間が長くて,乗っている時間も長くて寝ているだけ.

嫌なにおい,振動,車酔い.この世の嫌なものを集めたのがバスみたいに思っていた.

高校生のころ,とても不自由した.

村の端っこから市まで1時間弱のバス

そこから乗り換えて高校までまた別のバス

これだけで往復3時間だ.

バス停留所もさみしくて,一緒に帰る友達がいなかった自分は一層さみしかった.

部活夜遅くまでやるようなものには入れず,高校からそそくさと帰るだけだった.

友人が少ないのはバスのせい,とすら思っていたかもしれない.

待合室が苦手だった.いつも閉め切られていて風はなく,夏も冬も不愉快環境であった.

待合室は老人たちでいっぱいで,この風が通らない空間に満足していて,

ストーブやかんをかたかた揺らす音を黙って聞いている,そんな態度がとても嫌いだった.

待合室に併設された定期売り場はいつも同じおばちゃんがいた.

この朝から晩まで温度の均一な空間でよく働けるものだと感心した.

市までのバスは仕方ないとして,市から高校までは自転車を使うことにした.

信じられないくらい自由だった.

この大嫌いな待合室や高校前のバス停を横目にすごいスピードで移動できた.

しかもいつでも! 

友人の家にも,遠くの本屋にも,電機屋にも行けた! 

夕暮れになるのを風の中で感じることができた.

30歳で転職住まいを変えた.再びバス通勤をすることになった.

また夏の熱い中,不自由バスに乗っていた.

この路線は乗客が多く,相席が当たり前でとても狭く感じた.

最近なぜか車酔いがひどくなり,バススマホでも見ようものなら5秒で気持ち悪くなった.

これに嫌気が差し最近自転車を買い,これで通勤するようにした.

ああ! なんて自由なんだろう! 

どこに行こうが,何をしようが全て自分の都合とタイミングで決めてみせる.

そんな前向きさを自転車は与えてくれる.


あれから12年たった今,再確認した.

  • みんなが自転車通勤を行使すると道路キャパシティが破綻する。バスや電車にぶち込んでいるからこそ8:00から9:00のタイトな時間でも、どうにかこうにか道路が破綻せずにやっていけてい...

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