2014-06-29

http://anond.hatelabo.jp/20140629183817

一日100人が死んでいて、その内の何人が、自分以外の存在のために死んでいるのか。ゼロとは言わない。だが、それではさらにその少数の中に、「国」というあいまいもののために命を懸けた結果、死を選んでいる人間がどれほどいるのか? 一日、いや一年を通して何人いるのか。

一応言っておくけれども、焼身自殺というのは、手段として、「テロよりマシ」とは思うがあまり純粋アナクロに過ぎる。だから、個人的に賛成はしない。だが、彼なりに止むに止まれぬものがあったのだろう。それだけの絶望の中にいたのだろうということは「理解」はできる。

もちろん、増田のように「ニュースにする価値などない」と切って捨てる人間もいるだろう。ただ、もし「価値など無い」と切って捨てたいならそもそも触れなければよい。彼の死に触れてしまった時点で、オレも増田も彼に荷担している。焼身自殺というのは、そういう方法だ。一人の人間の命を手段として、メディアの穴をついて、そういう非常識目的の達成の仕方をしようとする暴力行為だ。その点では、確かに彼は成功している。

今後、歴史の中では、集団的自衛権がこの年に成立した、という事実と共に、「法案に反対して、新宿焼身自殺を図った男性が現れた」ということが記されるだろう。100年後の歴史家が、それらをどう評価するのかは分からないが。

記事への反応 -

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん