「全ての発疹がカサブタ化したら登校可」の基準は時代遅れであるという根拠が、あなた自身の文章の中でもはっきりしないよ。
時代遅れと言うのは、昔はそれなりに意味のある基準だったが、現在の技術や環境においては意味がない、という状態だろう。
水ぼうそうは、水疱の中の体液に感染力を持つウイルスが居る。だからまだカサブタ化しない=湿潤な発疹がある間は、他の子との接触を避けるのが望ましい。
この病気の性質自体は今も昔も変わっていないのだから、現在でもその基準は無意味でないと思う。
たとえ、抗ウイルス剤の登場や予防接種の普及により、水ぼうそうの重症化率が下がっているとしてもだ。
追記
ちょっと元増田の主張を読み間違えていた。登校可かどうかじゃなく、治癒の判断と傷の治り方の話をしているのか。
上記の理由から、治癒の判断をカサブタ化によってするのは無意味でないという主張は変わらないが、より綺麗に治す方法はあり得るのかもしれない。
(湿潤療法が感染による皮膚症状に適用できるものかは、また別の話)
だが、綺麗に治すというのは、安全・感染予防に比べるとどうしても優先順位が落ちる。
もし2種類の方法があって、Aは美的に優れているが感染予防的にダメ、Bは逆、という状態なら医師はBを選択せざるを得ないのではないだろうか。
感染が関係なく、苦痛の軽減や安全性vs外観という構造なら、本人の意志次第で前者を優先する事もあり得ると思うが、それも判断力のある成人の話。