ほんとこれ。
これが「コミュ障」という言葉の定義というか、人間のコミュニケーションに対する態度として最も前向きだし、あるべき理想的なモノだと思うよ。
まあ、「結論ありき」な人が多いんじゃないのかなあ。人は見た目が9割っていうし。見た目や肩書きやイメージですでに結論(意思疎通を成立しようと思えるか/思えないか)が決まっている感じ。
2chでも増田でも何かにつけて「ステマ」「釣り」しか言わない人いるでしょ、あれがまさにそれ。
ディベートが下手なのとか、知らないものや違うものに触れるという覚悟や姿勢があまり無くて、自分が既に持ってる文脈と共有できるかどうかでしか考えられない人が多い。
まあそれにはけっこうエネルギーを使うっちゃ使うからハードルある程度高いってのもあると思う。そういう能力を養う教育も全員が受けてるわけではないしね。
企業が人材に求める「コミュニケーション能力」っていうのは
と言う意味ではなくて、
自分が既に持ってる文脈と共有できるかどうか
という意味で使われることが多いよねえ。老害政治、村社会だし。
だからちゃんとした考えの企業ならそれを区別するために「当社の考えるコミュニケーション能力の定義とは」が書いてあると思う。
老害と村社会に対応してから言おうね。
お客に対しては上だけど上司に対しては下
日本企業の言う「コミュ力」は「俺の文化に合わせておまえがコミュニケーションを取る能力」って意味。 非日本企業の言う「コミュ力」は「互いの文化的差異をよく認識して生産的で...