絶対的なものではなく、自分の身の回りの状況に応じて正しさは変わってきます。
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そして、次の2点で評価できるでしょう。
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お互いに困ったときに助け合える状態かどうか
そのための土台として、価値観(”それは大変だな”や”それは嬉しいな”といった同情の気持ち)を共有できていること。また、助け合える生活上の余力(金銭および時間)があること。
飲み会や旅行は、お互いの金銭及び時間的余力があることを確認しながら、価値観を共有する伝統的な仕組みです。
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業界内では自分はまだまだだと謙遜するかもしれないが、自分の友達を中心としたコミュニティでは、自分がその道のプロである。自分独自の知識や経験を友達コミュニティに持ち込めるなら、あなたのコミュニティでの居場所は保たれる。たとえそんなにお金がなくても、またたとえどんな変な生活をしていても。
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番外
3:友達がいない時
これはアートが行えているかどうか、すなわち、身の回りの生活の中で、みんなは気づいていないが”これはいいものだ!!”、という何かを打ち出していっているかどうか
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4:その他雑感
きらびやかで美しい、とか名声や地位があってすごいとか、そういう人生はそれはそれですごいですが、”正しい生き方”⇔”間違った生き方”という枠で考えるとこんな感じかなぁ、と思って書いてみました。
ずっとそれを探してる。 普通の人は大人しく世の中に従うところ、全く従わずに生きてきた。 間違ってないような気もするし、間違ってるような気もする。 でも、普通の人のように素...
正しい生き方について個人的に思うところを述べます。 ”正しい”というのは、周りから見て妥当ということですから 絶対的なものではなく、自分の身の回りの状況に応じて正しさは変...
正解というか、大企業に入って出世して、全部下にやらせて 金で美女と結婚して、小金持ち同士でつるんで 年収1000万ぐらいとってるのに、こんなんじゃ全然たりないひんこんだ、...
死ぬ時に「いい人生だった」って笑って死ねるなら、その人生は正解なんじゃないかと思うよ。 memento moriって言葉もあるくらいだし、いつか必ず来るその時への意識さえあれば、そうそ...
俺も全く従わずに生きてきてる(というかどうやっても弾き出された)けど、 俺みたいな人間が「正しく生きる」のは不可能なんだろうと感じる。 そもそも社会に従えない価値観を持つこ...
世の中の流れに乗るとか乗らないとか、あんまり関係ないんじゃないかな。 そこにただ自分がいて、あなたがいるだけ。 成功とか正解とかってのは人間が勝手に意味づけしただけ。何か...