元開発畑で、今は構築や保守の業務をやっているという職歴もあって、それに付随する情報処理技術者の資格を取ろうとしたが、未だに果たせないでいる。
持っているのは、開発だった大昔に取ったソフトウェア開発技術者(ソフ開)のみ。
それから数年経って業務が変わり、セキュリティとネットワークを何度も受験し、合格しないまま今に至る。
ちなみに最初は午前も午後もダメダメだったけど、午後については実際に仕事で取り扱うようになり、自己採点や模試でのスコアはかなり上がってきた。
仕事を経験することで頭が回るようになるとだいたい分かってしまうのは、ソフ開と同じかも。
問題は午前。
ソフ開のときとは覚える量が桁違いに多く、とても網羅しきれない。その点は確かにソフ開よりハイレベルだと思う。
自分の場合、その分野に対し病的に興味あるものはかなり詳細まで覚えられるけど、そうじゃないものは要点を押さえるのがやっとで、細かい所は「そんなん知らねーよ」となる。
それで本番は色々と取りこぼしを起こし、足切りを食らっている。
そんな話を知り合いの合格者にした所、「午前なんて過去問だよ、それが全て」と返ってきて驚いた。
こっちはソフ開のときは勿論、過去問は一度もやったことがない。
というか無駄じゃんと思っていた。
だって技術の進歩で毎年新しく覚えることと、それに代わって覚えなくていいことが少しずつ入れ替わる性質上、問題傾向とか難易度とか何それ美味しいの?という話でしょ。
なので過去数年分の問題で、技術の進歩は肌で感じ取れるかも知れないけど、それ以外に何の意味がある?という感じ。
覚えることが大幅に減るとかならいいけど、そういうものでもなさそうだし。
増田が感情論的にどう思うかはどうでもいいので、事実に基づいて判断したらどうですか。
感情的になるなと言われても無理な話。 こっちはこれまで結構な時間を費やしてきたけど、結果だけ見れば全部無駄だったわけだし、依然壁のように立ちはだかる物に対して冷静にとか...
今のやり方で上手く行ってないってことは、これまでは努力の方向性が間違ってたっていう事実を認めるところから始めてみたら?
その歳になるまで「無駄なものは無駄」っていう経験しないで生きてきたの?
IPA資格に何らかの価値を求める方が間違ってる