それが、いつの間にか、公開することによるオナニーや、商売の道具となった。
しかし、そういう系のアウトプットをしていると、虚しさが湧く。
日記文学といった高尚なものから、データーマイニングされた記録群。
積み上げられた自己を振り返る美しさというのがある。
だが、ブログをオナニーや鬱屈の吐き場、商売の道具として使ってしまうと。
この美しさがない。
3年ほど書き続けた1000件ほどの文章を建てたブログを、僕は持っていた。
そして、最近、その公開をすべてやめた。
非公開にした。
1000もの文章を書いており、一つ一つはそれなりに面白いのだが。
美しさはなかった。
日々の鬱屈の吐き出しや、オナニーや、雑事の乱雑な吐き出しだけであった。
研究ノート、終わった企画の計画進捗録のような美しさはなかった。
書いてる時は一種のオナニーだったので、オナニーを見せられてもだからどうしたということしかないのだった。
ブログを辞めたのはいいのだけれど、これまで日常的に吐き出していたは吐き場がなくなると、あんな面白いこと、こんな面白いことが見つかったときに、それを発表、記録する場所が無いのに虚無感を覚える。
ツイッターやブログでは人に見られており、それがストレスでもあり、快感でもあった。
今は、この匿名ダイアリーに書いているが、面白いよ! とは書けない。
代替手段を探している。