2013-07-21

あふれるほどの楽しさ

ブログ

 の本来の言葉は、「ウェブログ」であった。

ウェブを使った、ログ(記録)である

それが、いつの間にか、公開することによるオナニーや、商売の道具となった。

しかし、そういう系のアウトプットをしていると、虚しさが湧く。

ログ(記録)の堆積でなく、オナニーの履歴となってしまう。

ログの美しさというのがある。

日記文学といった高尚なものからデータマイニングされた記録群。

積み上げられた自己を振り返る美しさというのがある。

だが、ブログオナニー鬱屈の吐き場、商売の道具として使ってしまうと。

この美しさがない。

3年ほど書き続けた1000件ほどの文章を建てたブログを、僕は持っていた。

そして、最近、その公開をすべてやめた。

非公開にした。

1000もの文章を書いており、一つ一つはそれなりに面白いのだが。

美しさはなかった。

日々の鬱屈の吐き出しや、オナニーや、雑事の乱雑な吐き出しだけであった。

研究ノート、終わった企画の計画進捗録のような美しさはなかった。

書いてる時は一種のオナニーだったので、オナニーを見せられてもだからどうしたということしかないのだった。

鬱屈のやりどころ

ブログを辞めたのはいいのだけれど、これまで日常的に吐き出していたは吐き場がなくなると、あんな面白いこと、こんな面白いことが見つかったときに、それを発表、記録する場所が無いのに虚無感を覚える。

ツイッターブログでは人に見られており、それがストレスでもあり、快感でもあった。

今は、この匿名ダイアリーに書いているが、面白いよ! とは書けない。

代替手段を探している。

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