ココロのバリアフリー? 大いに結構!
だが。果たしてそのような精神論で現実は回るのだろうか?
日本の熟練パイロットが操作する、職人の技で作られた工芸品のような一品物の零戦は
マスプロ大量生産未熟なパイロットでも扱いやすいアメリカ戦闘機に敗れたのだ。
「ココロのバリアフリー」論は零戦と何が違うのか。
結局は場当たり的、その場しのぎなやり方を現場に押し付けているだけである。
零戦 = こころのバリアフリー、人力対処
グラマン= 法整備によるバリアフリー対応施設への移行、ハードウェアの改善
と考えればいい。
労働者も高齢化すれば体力も無くなる。
補助すべき人も補助される人と紙一重の高齢化社会で
「ココロのバリアフリー」論といった美名に頼るのは間違いだ。
短期的には現状、バリアフリー対応の施設を載せた情報を集め、サイトを作る。
長期的には法律に沿ったバリアフリー対応施設への完全シフトをする。
というようにすればよいのだ。
美しい国といった精神論や懐古主義より現実的な対応が求められる。
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