2011-12-22

潔癖性の果てに自殺があるだろう

そもそも、未文化で原初の世界なのだ

混沌名前を付けて"あちら"と"こちら"を分けるのが文明の方向性だ

しかしそれには終わりがない

「然し、真理といふものは実在しない。

即ち真理は、常にたゞ探されるものです。

人は永遠に真理を探すが、真理は永遠に実在しない。

探されることによつて実在するけれども、実在することによつて実在することのない代物です」 坂口安吾 余はベンメイすより

極限まで分化が進んだ世界は、未分化世界と区別できないだろう

区別するのが人間である以上、その処理能力には限界がある

細かく分けられた世界の構成要素とその連関を全て把握できないのであれば

それは主観において未分化だろう

何が行われるのかを予測できるのが文明の終着点なのだから

さて、主題に戻ろう

潔癖性とは、未分化に耐えられない状態だろう

ここでいう潔癖性とは一般的な意味でなく、自らが持つ理論信条・信念を最も大切にするという傾向だ

例えば、婚前交渉は無くなるべきだという信念を持つ者は、それに反対するすべてを否定することで、自らの信念を大切にするだろう

このような潔癖性においては、自らの信念に反対するものは消されるべきものだろう

だが、世界本質的に未分化なのだ

人間主観で分かつものは、分かつ基準そのものに正確性を欠き、必ず矛盾をはらんだ中立・混在を作る

まり、ある定義をした時にその定義定義しきれない部分が生じるのだ

「αを持つものをAとし、βを持つものをBとする」として、αとβの両方をもつ、もしくはどちらも持たない存在が生じる

文明の方向性としては、その矛盾を受けて再定義をすればいい

分化であれば分化するようにするのが文明たるところだ

しかし、それには終わりがない

そして、その「終わりがない」という事に絶望しやすいのが潔癖性だ

定義永遠に繰り返し、そこに果てがあっても人の主観では把握できないという結末

であれば、もはや世界から手を引くしか無いのだ

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