2011-07-21

「失敗が許されない事がらには科学は向いていない」

気になる人は検索してくれればいいのだけど、

放送作家さんが

科学ってのは敗北しつづけるものだ。じゃなきゃ進歩しない。常に失敗しつづけてて前に進む。だから科学の敗北」って言い方は、科学の否定を全く意味しない。

と書いた。

それに対して、科学史家さんが

逆に言えば、失敗が許されない事がらには科学は向いていない。

コメントした。

 

この科学史家さんは、反原発を表明しており、

おそらく原発のように失敗時の被害が大きいものに対して、

「『失敗は前提』という態度で接してよいはずがない」

と言いたいのだと思う。

 

普通の人が

原発みたいなものを、科学することがそもそも間違いなんじゃない?」

というようなことをいうぶんには、理解できるし、当然の疑問だと思う。

しかし、コメントしたのは科学史専門家である

 

当然すぐに思いつく反論は

一言で言えば「Si vis pacem, para bellum」である

戦争科学しなくてよいのか?

医学にも失敗がつきものだが科学しなくてよいのか?

 

むしろ、失敗が許されないからこそ、

正しく科学的手法を用いて、

ことが求められるのではないか

 

もちろん

科学が向いていないことは、科学しなくてよいことを意味しない」

のは、重々承知の上だ。

 

言いたいのはこういうことだ:

科学精神が、社会との間で軋轢をうむことはある。

「良い科学」と「悪い科学」。

人類幸せにする科学」と「不幸にする科学」。

社会からすれば、そういう分け方はできる。

ある科学的主張が大衆にどう受け入れられたか

それを知るのは科学史学の中の重要トピックであろう。

そうであれば、そうだからこそ、

科学史家は客観的立場でいなければいけないのではないか

  • 「失敗が許されるかどうか」の基準が意味不明過ぎるな。 人類社会の都合だかどっかの個人の都合なんて科学そのものとは無関係だしな。

    • そのとおりなんだけど、気持ちはわかるんだよねー。

      • 「一人の人間の命は地球より重い」とかブンガク的なことマジで言っちゃう人とかもいるわけで、 せめてもうちょっとマシな基準を示してくれるなら議論の余地あるとは思うけど。

  • この科学史家の発言って、なにか客観性欠いてる? 「(社会的に)失敗が許されない」事柄において科学はしばしば「やらかす」、っていう事実に言及しているだけに見えるけど あ、検...

    • 「向いていない」っていうのは価値判断じゃないのー?って事ですよ。 「やらかしてきた」ゆえに「向いていない」という論理展開なわけで。

  • 核反応の研究することと、事故ったら制御しきれない大規模な原子力プラントとと一緒にされても。 現代の戦争ではBC兵器は禁止されてるし、医学でも無謀な人体実験は禁止されてる。

    • つまりね、 BC兵器が禁止にされたのはどのような経緯か 許される人体実験(臨床試験)と、許されない人体実験の区分を付けるにあたり、医学界はどのような合意を形成したのか と...

      • 別の枝にも書いたが、原発プラントにおける科学の仕事は、冷やせば制御可能という事実を発見することだ。 もちろん、もっと効率の良い方法を発見するのにも科学は必要だろう。 そし...

      • BC兵器や人体実験が禁止された経緯を踏まえて、同様に原発もヤバいよね、ていう話じゃないの。

  • つうかさ、実用フェーズと研究フェーズをごっちゃにしてない? 原発プラントは実用フェーズだからな、医療だっていきなり現場に提供されたりしない。 実用フェーズの所に、「失敗は...

  • 技術屋の俺が来ましたよ。ちなみに原子力屋ではありません。当然「原子力村」からの「利権」なんて全くもらえません(というか「原子力村」業界って学歴から考えたら決して給与水...

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