自分の爺ちゃんが死ぬ。
今入院中だけど、この1週間以内でしょうという医師のことばがあったらしい。
ちょっと前から具合がよくなくて、それでも苦しまないで死を迎えられそうだからしあわせだと思うようにしている。
97歳というのは、大正3年生まれ。
関東大震災を経験し、太平洋戦争を経験し、それらを乗り越えて戦後の日本を生きてきた世代である。
…唯一の後悔は、爺ちゃんとこの震災の後、自分はどうやって生きていったらいいのかを話すことが出来ないことだ。
90歳を超えて生きている人たちっていうのは凄く元気な人が多いという印象だった。
生命力がない人たちは、90歳を超えることは難しいと経験で感じたのだ。
そして大体の人が言うことばは、「明日死んでも、ぜんぜん惜しくない」ということばなのだ。
自分は今回の震災で、震度5強くらいを経験したんだが、それでも自分にとっては初めて経験するものすごい揺れだった。
そして強く思ったことは「まだ死にたくない」という、生への執着だった。
介護の現場で、死を身近に感じていた人間でも、自分に置き換えて考えたことなんてなかったのだ。
思えば、ここまで生きてきて、「死」というものを身近に感じるほどの、困難を与えられたことなんてなかった。
自分が感じてきた困難というのは、たとえば進学や就職であったり、経済的な事情であったりというものはあったが、
食事が守られて、水もあって、自分の寝床はあるというような、「死」とは遠くかけ離れた困難であった。
今、それらが脅かされるような国難を目の前にして、自分はどう対処していったらいいのか分からない。
そして、貧困や戦争を経験してきた世代が、世の中からいなくなってきていることを、すごく心細く思う。
爺ちゃんと、そんな話が出来ていたら、自分も何か、強くなれたかもしれないと思う。
そんな爺ちゃんが、もうすぐ死ぬ。