http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1303084.html
亡くなった著名人に対してそうウェブ上で弔意を表する人たちに、前々からなんとなしにひっかかりをおぼえていた。
「お悔やみ」は本来的には、故人の遺族などの関係者に対して「申し上げられる」ものだ。社交辞令的な側面を除けば、そこには人の死という最上級の悲しみを他者と共有し、辛さを分かち合うことで、明日への活力を得るための一助とする目的が存在する。なんとか彼の屍を乗り越えていこう。おじいちゃん最期になんていってたの? 生きろ、ってことさ。
ではウェブ上でお悔やみを述べる人々は「ワールドワイドなネットワークでディープなサドネスをシェアすれば、よりサフィシエンシーに富んだアロケイションを実践できるライフハック」でもキめようとしてるのだろうか? おそらく違う。ある種の人々にとってはウェブという葬式には不自由な場で唯一打てるの弔電であるし、別のある種の人々にとってはライフロギングの一環にすぎないだろう。そして、また別のある種の人々にとっては「本気で悲しんでる人」になるための入り口を作り出す儀式でもある。
訃報が大きなニュースとして扱われるのは各種著名人の中でも俳優、歌手、芸人などなどアーティストの場合が一番多い。ニュー速やはてなの場合はオタ寄りの人間が多いためか、漫画家や声優も比較的反響がデカい。こういった人々はアウトプットしたものが他に比べて我々の生活に入り込みやすい。あるいは、能動的に手に入れる場合の(精神的・物理的)コストが非常に安く上がる。だから、ファンならずとも「思い出してみれば、(作品を)見たこと、聞いたことがあるよね……」という気分に陥る。 仮想的な個人関係が構築される。そうなるともう「知人」だ。知ってる人が死ねば悲しい。当然の感情だ。だから、お悔やみを申し上げる。当然の論理だ。
これは「悲しんでるフリ」なのか? 否だろう。少なくとも、結果的には「本気で悲しむ」ことになるのだ。そういう結果に行き着いてしまうシステムができあがっている。そう、悲しみを指数関数的に増幅させるプロセスが。
著名人の死には思い出補正のほかにもうひとつ、故人の個人情報(しゃれじゃないよ!)、即ち通常の葬式における「彼/彼女とのおもひで パブリック版」がメディアによって無償提供される。追悼記事の体裁をとった故人の交友関係、裏事情、履歴学歴出身出自家柄家族構成年収バイオグラフィーその他諸々が暴露される。作品が繰り返し繰り返し某のりピーバキバキDJプレイ動画並にテレビでリピート再生される。掲示板でまことしやかに故人の美談が語られる。雑誌で特集が組まれ、いかに素晴らしい足跡、業績を残したかが取りざたされる。そして、ブログで「○○に関する個人的な思いデ」なる記事がアップされてエントリ執筆者に<わたし>の代入がはかられる。かくして公人としての彼/彼女の情報と私人としての彼/彼女の情報を手に入れることで、それぞれの中で実際と感情的にはさほど変わらない擬似友人関係が手に入る。リアルと違うのは<わたし>と故人をそれぞれとりまく人間たちがまるごと欠落してることだ。まぁなんて十年前に流行ったライトノベルみたいなんでしょう。君はそれで十分なんだろう。電波はどこからでも届く時代なのだし。
だから、画面上の「お悔やみ申し上げます」はいびつに響くのだ。単に遺族を知らないのあれば、自分の周囲から作者を知る人物を探し出して共有すればいい。それこそネットでは腐るほど見つかる。が、それではダメなのだ。上記のプロセスを経て構築された太くて強固な一本のみから成る関係は非常に閉鎖的で、誰の干渉もゆるさない。その上、線でつながれた二人のうち一人はもの言わぬ屍なのだから、もうほとんど俺 is world.だ。
臼井義人のような行方不明の場合は、この故人情報の提供が前倒しで行われている。(世間一般的には)一部の人にしか知られてなかった「まつざか先生の恋人爆死エピソード」やら、新宗教に関連した家庭内不和の噂やらがばらまかられ、『クレヨンしんちゃん』がベースとなった映画がピックアップされる。作品について語ったインタビューやら本やらが紹介される。そもそもがアニメのお陰で幼児~30代に絶大な知名度を誇る漫画の作者だけに、人々は自分の中の『クレしん』体験を持っている。我々はその記憶をつぶさに思い出の中から発掘し、あたためるだけの時間を時間を与えられる。今までまったく知りもしなかった作者をよき隣人よき友人として捉える様になり、ついにはこうのたまいだす。
「私の人生において『クレしん』はドラえもんとならんで人格形成に強烈に作用したいわばバイブルです。ええ、今でも大ファンですとも。ワシは臼井義人が育てた! しかし今の子供はかわいそうですね。ドラえもんとしんちゃんを同じ曜日に楽しめないとは!」(楽しめる)
既に世間は膨れあがっちまった悲しみではちきれんばかりになっている。今日に至り、「遺体発見!……か?」というニュースがダメを押した。今更後戻りはできない。「なんかの間違いであってほしい」「俺は信じないぞ」。これらは通常、死者に用いられる言葉だ。
人は自分本位ないきものだ。いわんや、(推定)死体と<わたし>としかいない閉じた、花火すらない部屋の中にあっては。死体の前についた(推定)が外れた時、ようやく理想的な関係が得られる。なぜ理想的なのか。安心できるからだ。なぜ安心できるのか。安定しているのだ。構成要素が自分しかいないから。ということは必然的に訃報からはじまる一連のシークエンス主人公はその人自身、ということなる。主人公は人の死を嘆き悲しむのだから人生という本のワンシーンとして、美しくならないはずがない。
画面越しに行われる弔いはその人の体内で循環し続けて決して放散されないのであって、つまるところ内面の問題なのだ。そこに臼井義人の親族や関係者が介在する余地などまったくない。だからこそ、人はどこまでも残酷になれる。決して、自覚することなく。
あなたは悲しむ準備はできましたか? 悼む用意は充分ですか?
私は……臼井さんが五体満足これ無事にお戻りになることを祈ってます。
そもそもなんで「多数派が正しい」と思っちゃったのだろうか。
多数派は間違っていることより正しい事の方が多いかもしれないが、必ずしも正しいわけではない、というのは社会科で学ぶ基本的な事柄の様に思うのだけど。
なんでも多数決で決めれば良いわけではない、ってのはそれこそ小学生から言われることだし、多数派によるいじめや差別や偏見もあるわけだし。
さらに、あらゆる事柄に多数派少数派とか正しい・正しくないという二分的考えを行うのは危険ですよ。
数学で例えてみる。
あるコインは表がでる確率が40%、裏60%だとすると
コイン1枚を投げた時表がでる確率が40%で裏60%で裏が正しい、のは当たり前だけど
コイン2枚のときはどうか?
2枚表の確率は0.4×0.4=0.16で 16%
2枚裏の確率は0.6×0.6=0.36で 36%
表と裏1枚づつは残り48%(計算だと0.4×0.6+0.6×0.4=0.48)
「表がでる」→「浮気をする」に変換すると
「浮気」自体は40%<50%、だけど
ていうか例に挙がってるの全部「今の女性は○○だから」で言えちゃうようなものだと思うが(例・股がゆるい)。
ここでいう「コミュ」って何だろう。それさえわかれば実践できるのだが
ただの一度もそういう事を言わないような男(常態化以前に、一度でもいったらアウト)をさがしているなら、貴方を100%軽蔑していて、貴方は自分からみて絶対に劣位、ってゴミみたいなのになるといいと思うよ。
だって貴方が言ってるのって、結局対等な立場はイヤだ、私に何かを依頼するなっていうことだし。
徹底して「お前はグズだから茶を入れさせようとすれば台所を爆破するし掃除機をかけさせれば壺を割るし何か脳を使うことをやらせれば変な被害妄想を暴走させて自殺しようとする」って思わせつづければ大丈夫だとおもう。あなたにそれを補って余りある魅力があればだけど。どこぞの王国のお姫様みたいに。
AV見るのが正しくないかどうかも人それぞれ。
そもそも始めっから多数派=正しいじゃないでしょ。
聖人君子みたいな人は正しい行いをして民衆から尊敬されてるんだろうけどそんな人少数なわけだし。少数だからこそ民衆から尊敬されるわけだし。
http://anond.hatelabo.jp/20090919142307
母から逃げきるためには「別の家庭を持つ」しかなかったから、尊敬できるひとと巡り逢ってプロポーズされたとき即座に結婚した。
子供に関しては、自分が15歳だったときから、ずっと欲しかった。
「理想の母親を自分で演じてみたかった」んだ。物語に出てくる「やさしい母親」とか「子供のことを第一に考える母親」とか、絵空事だと思っていたから自分が身体で現実のものにしてやるって意気込みだった。いや、実際には、そういう母親のほうが多かったんで拍子抜けだけども。
でも、毒親をもった私は見本が無くて、現実は厳しく。赤ん坊って機嫌がいいときは可愛いけど、泣き止まないとマジで首絞めてやりたくなるんだ。
そんなとき「子供の能力の見つけ方・伸ばし方」平井 信義著って本に出会って、子供の目線に立って物を考える方法を覚えたんだ。それからは楽しかったよ。子供と一緒になって遊べたから。子供が泣き止まないときは、私も一緒に泣いた。悔しがってれば、一緒に悔しがった。ちょっと子供の言いなりになり過ぎて、すこーーし、子供わがままに育ったけども。でも、そこそこうまくやっているようだ。
私は母を見返してやりたかった。母は「増田(私)が怒らせるから叩かれるんだ」とか言って、自分で子供を叩いておいて責任を私になすりつけた。だから「それは、あんたがダメ人間だからで、私なら子供を叩かずに育てられる」って証明して見せたかった。
ついでに、ちょっと触れておくと、母は現在「あんたを叩いたことなんかない」で、自分のしたことを無かったことにしようとしている。もし、母が寝たきりにでもなったら虐待しそうで自分が怖い。でも、子供に受け継がせるのではなく、母のしたことを母に返そうとしているところは、自分でも「私えらい」とちょっぴり思ってる。
ああ、ごめん。私、かなり負けず嫌いだ。ぜんぜん参考にならない話になってごめん。
20090920追記
ありがとう。ちょっと面映い。無力感で折れなかったのは『毒』といってもあんまり強くなかったからかも知れない。「無力感」で思い出したのだけれど、12歳から15歳までは自殺しようとがんばってた。手首切ってみたり、お酒飲んで雪の中寝ころんでみたり。あるとき、ニコチンの水溶液を飲んだら、ものすごい吐き気でゲーゲー胃の中のもの全部出るような勢いで吐いて、横になったら意識が遠くなったから(ああ、これで、もう明日起きなくていい)と思ったんだけど、翌朝目が覚めちゃって。吐くのがあんまり苦しかったから、自殺をあきらめた根性無しっす。
20090923追記
http://anond.hatelabo.jp/20090923103247
「良い母親」を目指して、ようやく「世間並み」なんで。子供は「通常の母親」としか思ってないよ。
なんか、ありがとう。
20090925追記
kennakへ
ヨシヨシ(^-^)
異常なまでに「命令形」(もしくは省略形)を忌み嫌う増田だが、その特異な性質を相手に伝えようとしないで殺意だけ蓄積してしまうのはなぜなのか。
わかりあうことを放棄してただ理想の結論だけを提供してくれる他者を求めても無駄。
空から美少女が降ってくるのを待ってるようなもの。
例えば浮気についてなんだけど
ネットのアンケートで浮気した事ある人の割合調べたら、男女共に50%超えてたらしいのね
(ネットアンケートは表題に惹かれた人=その内容に心当たりがある人が答えるから該当者が増える傾向にあるらしいので、信憑性には疑問があるけどこの際それは置いとく)
一応浮気経験者が全体の半数超えてるってことは浮気する人のほうが多数派なんじゃん?
なんで多数派なのに糾弾されるんだろう。逆になんで悪い事なのに浮気してる人が多数派なんだろう?
なんかとんでもなく頭悪い文章になってしまった。うーん。
とにかく、多数派=正しいって認識がぐらついてしまった。
逆に正しくないことなのにそれをやってる人が多いってのもすごく疑問。
誰かこの疑問に答えてください。
こんなこと言わなくてもわからなきゃいけない。
それ無理。
あなたが自分で思っているほど、あなたの価値基準は他人に共有されているものではない。あなたが当然だと思っていることはどうでも良くて、あなたが今まで考えもしなかったようなことをとても重要だと考える人はたくさんいる。
はっきり言葉にしても、本当に通じることなんて滅多にない。黙っていたんじゃなおさらわからないよ。
確認取れてない。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090919-OYT1T00827.htm
現場は険しいがけで遺体の収容作業が難しく、同署は日没で活動をいったん打ち切った。20日朝から改めて遺体を引き上げるなどして身元を確認する。
失業給付受けな。受け方はググればいくらでもでてくる。
そんで、職業訓練校に行くんだ。行けば卒業まで失業給付が延長される。
なんか色々と説教してくるからちゃんと聞いてどういう意味で言ってるんだろうって考えてたら
「こんな彼女だって他の人に知られると俺が恥ずかしい」って言いたいんだなっていう行間が読めた。
http://anond.hatelabo.jp/20090919223903
「自分と他人の境界線」がうまく引けてないから、相手を「使役していい」って態度に出るんだよ。自分は自分。他人は他人。それぞれにやりたいことある。協力するときはお願いする。いつものことなら話し合って分担を決める。
体調が悪いって具体的には?
それがわからないとどうしようもないが、仕事に関してはジョブカフェとか若年向けハロワはけっこう手厚いサービスが受けれるぞ。
(ニート対策のなごり)
いろんなことができてない、子供っぽいって。
でもやってこなかったんだよ、その機会も時間もお金もなかったんだ。
遊んでない。遊ぶことで学んでいない。
まだおっかなびっくりでためらってる。
そういうところを子供っぽいって言われた。
それで喧嘩した。
お互いの見解で一致しているのは私は過去成長を抑制され頭から押さえつけられていた、という事実があるということだ。私はだからできないという。彼はできないということが信じられない。その事実があったことはわかっていても想像ができないから。
あの人もいろいろと辛酸はなめてきているはずなのにそこら辺は妙に能天気だ。時々あきれる。
今回は怒った。怒髪天の如く怒った。そして泣きわめいた。みっともなく。
メッセだったから彼はしばらく私が怒っていることに気付かなかった。最後は困って、でもおもねることなく建設的な方向へ進もうと対話することはやめなかった。
どこまであきらめないでいてくれるのだろうか。
いつか、すべての人に嫌われると思っている私をどこまで受け入れてくれるのだろうか。
私が求めているものは何なのだろう。時々わからなくなる。
嫌われたいのか、受け入れてほしいのか、ただ放っておいてほしいだけなのか。
表面の気持ちよくて楽なところだけ享受したいだけなのか、辛い思いをしても深く分かりあいたいのか。
二歳か三歳の時から成長が止まっていて20から動き始めた。まだ私の社会的年齢は小学校に上がった程度なのだ、本来ならば。この二、三年で急速に変化して自分自身ですらおいつけていない。それでもまだ足りないといわれる。年齢だけ見れば足りないだろう、でもこれ以上は無理だ。乖離してしまう。扱いきれなくなる。防御力が弱くなる。だからあなたがずかずかと土足で入ってきてしまう。バリアが弱くなっているから。
入ってくるなら、中では私の流儀でやってちょうだいと言いたい。靴を脱いであいさつしなさい、乱暴に扱うのはやめなさい。ここはもうソトではない、ウチなのだと。あなたはそこに踏み込もうとしている。私はそれを許してしまっている。辛い。苦しい。泣いてばかりだ。でも。変わるのだろうか。変われるのだろうか。ただまた嫌われていくだけなのだろうか。めんどくさがられて不快だと思われて。悲しい。辛い。
皆さんが初めてAVというものを見たのはいつだろうか。
初めて見たとき、乳首や女性器を見ただけで変な罪悪感を覚えた。
あんまりにもビンビンになったアレがパンツに引っかかったわけ。
それで、引っかかってると痛いし、位置を普段のところに戻そうとしてイチモツを握ると・・・
っていうのが初オナニーだった。
やっぱり当時は女優が誰であろうと、女体であれば何でも抜けたし 何回でも抜けた。
それが今ではどうだ。
情けないことに 女優の様々な所にこだわりを持つようになり、
いいのか悪いのかは分からないが、そのせいで今ではちょっとやそっとじゃ勃起しなくなった。
昔は学校の授業中に勃起して、よりによってアレを鎮めようと奮闘している最中に
「●●君、起立して読んでください」
とか指名されるわけ。
いやいや、先生。もう既に起立してるっちゅーの。
隣が必ず女子だったこともあり、男という生き物はなかなか面倒なシステムを持ちあわせてしまったものだな!
って思い出もあるほどだったのに
若いねーちゃんが前かがみになって ちょっと谷間を服の間から覗かせてたりしても
ピクリンとも反応しなくなった。いやいや、アニメでよく鼻血ブーとかあるけど舐めてるのか(笑)
恐らく、エロ動画に慣れる=些細なことで勃起しなくなる=寛大な大人になる
って事なんだと思う。
だから、私は既に(エロに関して)非常に寛大な大人に成り遂げているのである!
そうすると、毎日オナニーなんてしなくてもヘッチャラになってくる。
ヒゲ剃りの頻度も減り、なかなかのエコだ。オナ禁だけで地球に配慮していることになるのだ。
そんでもって、女の子がかわいく見える。
もう、「こいつヤリマンだな」とかそんなイメージも忘れて 皆かわいく見えちゃう。
そして、5日にいっぺんのオナニー。これぞ至高。
なんかオナニーの話になっちゃったけど、しっかりタイトルにも意味がある。
"AVで本当に興奮するのはパコパコ突いてるシーンじゃない"
いや、もちろん正常位でおっぱいがプルプル揺れてるシーンだって興奮しますよ、そりゃあ。
女の子が上目づかいでフランクフルトを咥えてるシーンだって興奮しますよ!!!!そりゃあ!!
でもそこが真理じゃないんですよ!!
これ、友達に話したら割と簡単に同意を得られたんです。
もっと激しい議論になるものかな、と待ち構えていたんですけどね。
インタビューが行われます。
私「ハァハァ。今からこの子がキモブサ男優に抱かr・・ハァハァ」
おもむろに胸を揉み始める男優。
私「そろそろ準備すっかな」
乳首を弄ったり吸ったり弄ったり吸ったり弄ったり吸ったり
私「ウウウウウウウウウウウウウウウ」
指マン→クンニ お決まりの流れです。
私「ちなみにバイブとかオモチャ系は好みません」
次に画面を見ると「なめあいっこしよっか ニコニコ」
私「69・・・だと・・」
69の準備をしようと 男優がソファーに寝そべり、女優が上に乗ろうと・・・
ここだよ!!!!!!!!!!ここ!!!!!!!!!!!!!!!!!
え?だから"AVで本当に興奮するのはパコパコ突いてるシーンじゃない"んだよ!ここなんだよ!!
ちょっと動くたびに揺れるおっぱい。
恐らくヌレヌレであろうマムコ。
そして「これから69なのね・・・フフ」そんなセリフを彷彿とさせる女優さんの顔。
この数秒の、本当に真の行為ではないのに 私が一番楽しみにしているポイント。
本当の楽しみはこれからって、先を見なくても分かり切っているのに
ここ(69シーン)で果ててしまう早漏な私・・・。
異論は認めるよ!!
やばいこれ書いてたらオナニーしたくなってきた
原因は母だ。
いつからかパチンカーとなっていた母は、私が高校入学しバイトをはじめた頃から
私の財布から金を抜いたり、財布ごと盗んで数週間後に何食わぬ顔で「○○の裏にあった」などと
返してくることが常となった。(最初は信じていたが、ある日不信のあまり
母のかばんを覗きみたところ、私の財布と通帳が入っていたことがあった。
母が私にそれを「見つけた」と言って寄越してきたのは10日後のことである)
私は何度もそれを咎めたが「私が寝ている間に"借りるね"といったら承諾した」という
理不尽な言い訳と逆ギレでうやむやにされ、またかんしゃく持ちの父の暴発を恐れて
父に相談できなかった私は結局「学費や生活を保障してもらっている分、必要な経費」と割り切ることにした。
その後、私が大学に進学したと同時に、母が街金に対して450万もの借金を作っていたことが明らかになった。
父は母への不信と暴力的な取り立てへの対応、そして自責の念に苛まれて精神が不安定になり
母も罪悪感とパート勤め、そして波の激しくなった父への対応に神経をすり減らすようになった。
その時点で学費も1年滞納していたことが分かり(学費の半分は私が自分で出していたが、お金自体は母に預けていた)
今後も支払い能力に不安があるということで私は大学3年にして退学の危機に陥った。
私がバイトを増やすことと、今は亡き祖父の協力によりなんとか金は工面できたが、
この頃から母は私にこっそりと金の無心をするようになった。
なんのことはなく、今までの「必要経費の捻出」を母自ら口に出すようになっただけのことだった。
元々家計を省みずに自分の希望を果たすために進学してしまったことへの
罪悪感があったことで、私は特に何も言わずこれに応じていた。
もう借金はないのだし、最初のうちの苦しい間だけ、と思っていたのだが、それがいけなかったのかもしれない。
無心は私が就職してからも途切れることはなかった。
そればかりか、香典やその他もろもろの送金さえ着服するようになっていった。
何度もいいかげんにしろと叫びたい衝動に駆られたものだが
相手は青森、私は鹿児島。眼の届かない場所にいるだけに、母の精神状態が
どのように変動するのか、父の躁鬱にどれほどの影響があるのかが恐ろしく
結局自分が黙って金を払い続けるのが正しいように思えてしまう。
それとは別に父宛への仕送りがあり、母の小口せびりの総額をあわせると
ほぼ私の月収の3/5に相当する。限界は近い。