セックスというものを、精神的な交わりを主に捉えると違ってくるんじゃないだろうか。
極端に言えばそこには肉体的な繋がりは必要ないんじゃないかと思う。
例えば協奏とか、なんかそういうアートな感じなものだと良いよね。
いや、俺、童貞だけどさ。
元増田です。頂いたコメントやエントリーをもとに、考えた結果をまとめてみました。
という結論に、いろいろと考えた結果たどり着いた。
とりあえず、納得できるかもしれないレベルにはなっていると思う。
本当に納得できるかは、時間がたってから判断していきたい。
ということで、問題は「自分という個体が生きる事の意味は問えるか?」ということになりそうです。
要するに、子供を作る、他者の生存を助ける、等の種としての人類を生き残らせることにつながる可能性がある行為にはすべて意味が発生しうるのではないか。
とすると、私たちが普段行っている生活そのものが意味があることなのだ、ということにならないか?
この結論に関しても納得できるかどうかは、時間をおかなければ判断できそうもない。
それに、僕の悩んでいた問題はこれとは別に正面から対処していかないといけないのもなんとなくわかった。
だけど、すくなくとも今夜は良く眠れそうな気がする。
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追伸
はじめての増田で、しかも心のおもむくままに書きちらした元エントリーだったのですが、意外な反響があって正直驚きました。
いろんな人にトラバやブクマを頂いたのがものすごく刺激になり、自分の考えを深めることができたと思います。
まだまだ考えていかないといけないとは思うのですが、どんなかたちでも自分の考えたことをまとめて公開することは大切なのだということが今回分かりました。
私がいるのは会社の中でも少し特殊な部署で、プログラムの知識があるのが私とマネージャー、残りは別の仕事をやっています。
マネージャーは部署全体の統括管理をやっているので、プログラムを専門でやっているのは私一人です。
何とかデスマーチにならず仕事が回ってはいるのですが、人員が足りないため仕様の決め方もいいかげんで、ドキュメントを書いてる余裕もない、確認テストは私の自己裁量、と非常に悲惨な状況です。
そのため少し前のヒアリングでは「プログラマが私一人ではできる事に限界があるのでプログラマを増員して欲しい」と訴えたのですが、
不況で人は回ってこない、しばらく増田一人の体制が続くと言われて、この時は仕方なく引き下がる。
そういう職場で仕事をしていたのですが、先週マネージャーから呼び出しを食らう。
私は気が立っている時は目に見えて感じが悪くなるし、(最近ちょっと仕事とは別件でゴタゴタしてて気が立ってた)
本当に周りを見下していないかと言われて違うとも言い切れないのでここは素直に話を聞いておいた。
「常務と評価の話をするけど、これでは問題がないとは言えないし、出向もさせられない」
(文字に書き出すと普通の台詞なんだけど、何か違うものが挟まっている感じ。うまく表現できなくてスマン)
……この時何となくだけど分かった。
このマネージャー、俺をこの部署から手放したくないんだ。「出向させられない」という言葉にそういうニュアンスを感じ取った。
手前味噌だけど、社会人満1年未満の割には多分いい仕事をしているのだと思う。
(多分というのは、プログラマがいない部署なので他に比較できる人がいなくて自分の腕の程がどれほどかよく分からないため。無論キャリアのある人と比べたら笑われるレベルだろうけど)
一方で、マネージャーが言っているように対人スキルに難があるというのも自覚してる。
で、「性格は気に入らないがいないと困る」というのがマネージャーから見た私の評価なのだろうと思った。
(私の事を性格の上では嫌っているな、と確信した出来事はいくつかある。私の話を聞かずに同じ部署の人のミスの責任を半分かぶせてきたり)
マネージャーの指示が常に場当たりでも、満足のいくプログラムを作れない環境でも我慢するつもりでいましたが、
私を嫌っておきながら必要とし、さらにそれを上司としての言葉で覆い隠す欺瞞には嫌気が差した。
今辞表の書き方とか提出方法とか調べてます。この部署の便利屋として扱われていたらこのポジションから抜けられなくなると感じ始めてきた。
ほとんど脈絡を追っていないけど、短絡的に横やりします。
それって「私が生きていることは無意味です」と言っているということでしょう。
詳しくは時間と筆力がなくて書けないけれど、相当変です。そういう人たちは自分の人生を否定するような理不尽な目にあったとしても、有意味/無意味のレベルから卒業しているから動じないのでしょうか。いや、そうではないでしょう。
実際、そういう人たちは各々に生を納得して、生きる意味を謳歌しているわけですよ。
これって「空眼」に行き着きそうな感じじゃね。
それは高々数十年かそこらの瞬間的な特殊状態だっただけっしょ。
みんなそれなりに金銭的に満足状態を実現したいなら、満足の閾値を下げるしかないと思う。
まー米国型金融業がやりすぎたってのは事実だが、その辺の工員と比べるには頭の出来が違いすぎるからどう割り引いても”結果的に平等”なんて無理っしょ。
ただのかまってチャンにしか見えないが、心配なら病院行け。
専門医に診断受けること
診断そのものはすごく大変らしいし時間がかかるらしい
生育歴も必要になるとも聞いたし親の証言もいるとも
とりあえず精神科に行って軽快したらアスペじゃないって話になる
それでも治療に時間はかかるし大変なことは変わりないから同じかもしれないが
『ずっと普通になりたかった』だったかな
オーストラリアの高機能自閉症の女性の書いた本は英文法めちゃくちゃだったそうだ
君はきちんと文章書けている様に見える
なんか、でもそれって非コミュ問題に限らず人間の普遍的な問題のような気もする。
多分、勉強の出来ない子は生まれつき勉強が出来なかったんじゃなくて、周囲の環境にも少し責任があるんじゃないかとか。
DQNは生まれつきDQNだったんじゃなくて、やっぱり周囲の環境にも少し責任があるんじゃないかとか。
でもその割にみんな自分の弱点は外部的な要因のせいにしたがるけど、人の問題には自己責任を押し付けようとするよね。
非コミュでマジメで頭のいい子は自分が非コミュであることを環境のせいにしながら、バカやDQNは「そんなの自分が悪い」と言う。
高コミュなDQNは自分自身のことを「仕方ない」と思いながら、非コミュの子を「自分が悪いんじゃん」と思ってる。
非モテは自分がもてないのは世界が悪いと言いながら、派遣切りにあった人たちを「自己責任だろ常考」とか言っちゃう。
(ふと思ったけど、「仕事なんてその気になれば何でもあるんだからより好みしてんじゃねーよバーカ」って言ってる非モテの人は、
女の子を寄り好みせずにさっさと身の丈にあった冴えない女の子を選ぼうとは、なんで思いもしないんだろう?)
その辺がやだよねーとか。
3年ぶりにセックスをした。
女友達の家に遊びに行って雰囲気でずるずると。
久しぶりだから、女性への愛撫の仕方や体の使い方を忘れているかと思ったら、
セックスを覚えたてのころ猿みたいにセックスしまくったせいなのか、
意外とすんなり体が動いてくれた。
ただ、乳首を口で愛撫しながら手は腰から下にすべらせて次は、、とか考えていたら、気持ちがどんどん萎えてきた。
なんで、こんな無駄なことに必死になっているんだろうとか思い始めた。
腰を振りながら、もしこのまま付き合ったとしたら、今後1ヶ月に1回セックスしたとして年に12回。
年に12回もこんな気持ちになるなら、セックスなんてもういいやと思った。
同じようなセックスばかりだと飽きるから、体位を変えて、場所変えて、おもちゃでも使って、マンネリを打破しないといけない。
なにその面倒くささ。
セックスをしなかった3年の間には、心底セックスしたいと思った時は何度もあった。
風俗でも行こうかと考えたくらい。小心者だから行かなかったけど。
その間に勝手な妄想を走らせて、セックスの醍醐味なんかを忘れてしまったかもしれない。
今回は、海外在住の方が長い帰国子女だったから、どんな風に何語で鳴くのかとか興味あった。
それすら、終わってみればどうでもいいことだった。
セックスの後味はマスターベーションのそれとくらべたら、比にならないほど気持ち悪くて吐き気すら催した。
セックスってこんなにつまらないものだったっけ。
1.そこでいう男性差別って具体的になにを表しているのか。
2.男が女の尻追っかけまわしてる男を叩く構図なんて十分あるだろ。
3.大体女遊びって女に媚びてるって事なのだろうか。遊びに使うなんて女をコケにしてるという見方もできるが。
4.そして男が「女に媚びる男」を叩いてそれが「男性差別」の是正に繋がるのか。前向きな差別是正運動でもしたほうがいいんじゃないのか。
ソフバンだからiphoneを買わないIT技術者ですがw、理由は「料金形態が分かりにくすぎるから」。
建前論なのに民族差別的な感情で裏打ちされているのが透けて見えるってのはどうかと。
「いったい何だったんだろう」って事だけど、きっと「心と時間のスキマを埋めるもの」だったんだろうね。
思春期だけど現実で埋めようのない時間と心を、ラジオを聴いて雑誌を熟読して誰よりも知識を求めようとすることでカバーして、
グッズをコンプリートに近づけようと躍起になって、ゲームを完璧に遊び倒そうと腐心することでカバーして。
つまり、打ち込めない何かの代わりに打ち込めるものを求め続けて漂い続ける人たちの助け舟だったんだと思うよ。
でもみんな成長して、自分の力の使い道を現実に向けるようになる、あるいは現実に打ち込まざるを得なくなるともうその代用品はなくなる。
だから消えていったんだと思うよ。
みんなで農作業をしよう的なイベントに参加してきた。
この手の農業活動の問題点は、「ボランティア」や「地域活動」の延長として
農業を捉えていることだろう。
ビジネスとしての視点が欠落している。
ドコモが出してたとしても売れてないと思うけど。既存のガラパゴスケータイと全然操作違うし別に高機能というわけでもない。0円ケータイは今までもあったしコスト面で優位なわけでもない。ただソフトバンクが理由として持ち出されやすいのは建艦的なものはありそうだけど。
http://internet.watch.impress.co.jp/static/yajiuma/2009/03/02/
林氏のエントリを日本語に訳すときにあんまり触れられてない部分、これが一番近いんじゃないのかな。
http://blog.nobi.cc/2009/02/my-view-of-how-iphone-is-doing-in-japan-by-nobi-nobuyuki-hayashi.html
Because you can trace back the root of NTT DoCoMo to the government owned Nippon Telegraph and Telephone Public Corporation, people just trust it by it.
And because SoftBank is a company run by Korean-Japanese businessman, Masayoshi Son, some older generation are skeptical. Perhaps, there could even be racial discrimination involved, but whatever SoftBank does, bad press follows it.
SoftBank is struggling to build credibility toward Japanese press about the "SoftBank would soon go bankrupt" rumors; if I go to quarterly report, most of the American Financial analyst and press (and some Japanese) seem to be convinced by what Masayoshi Son says, the bad press still continues.
「(前略)ドコモの母体が元国営企業のNTTであることで、無条件で信用する人々が多い。
そして、ソフトバンクは韓国系日本人の孫正義氏が社長をしており、そのことに不信感を持つ年長の世代もいる。おそらく、人種差別にも比すべきものがあるのだろうか、ソフトバンクのやる事なす事全てに悪意ある報道が付いて回る。
『ソフトバンクはじきに破産する』という噂を打ち消して日本の報道機関に信頼を得ようとソフトバンクは苦闘しているが、四半期決算の発表会での孫氏の発言にたとえAmerican Financialのアナリストや米国の報道(もちろん日本の少数の報道も)理解を示したとしても、悪意ある報道は相変わらず付いて回る。」
旧J-Phoneの時代からソフトバンクが割と強い地域に住んでいるし、PC-6001の頃からソフトバンクの出版物に親しんで来た身としては、なんか気の毒。