あー了解(笑
あなたなら確かに増田にいてもおかしくない(笑
むしろこちらこそその節はご迷惑をお掛けしましてすみませんホント。
(他の増田さん達に意味不明すぎて申し訳ないのでちょっと解説。結局この仕事も途中で放棄しているのです私。なんという駄目人間)
それなりのガジェットインターフェイスをもっていたとしても独自規格に固執して
PDFを読ませない限り、結局汎用的なPCがいちばんという話になるわな。
みなさん、そろそろココアの季節ですよ。
まぁ、私は年中飲んでるわけだが。
・バンホーテン
でもパウダーしか売られていないから、砂糖は自分でいれなきゃいけないよ。
缶のココアもここのはおいしいよ。
・ネスレ
本格欧風ココアってやつだよ。
砂糖が入っているので作るのも楽だよ。
ココアはチョコレートと同じで少しばかり苦味があったほうがおいしいんだよ。
ここのココアはちょうどいい甘さなんだ。
・森永
種類がいっぱいあるけどミルクココアしか飲んだことないからそれについてだよ。
甘みが強すぎてココアの苦味が楽しめないよ。
安いくらいしかメリットがないよ。
夏は冷たい牛乳にも溶かせるココアがでるけど、ココアパウダーの含有量が減ってるよ。
・明治
森永と一緒で糖量が多すぎるよ。
水で作るのとでは味が段違いだから。
その感覚は分かる。
でもそれって単にそれ以上先が見えないから「30以上生きてても仕方が無い」って思えてるんじゃないかなー、って気がする。
自分の場合だとそれが「18で死ぬ」「24で死ぬ」「30で死ぬ」っていう風に変わっていってる。
そして30になっても死なないんだろうな、という予感もする。
起きた。
2時頃に寝た割に、6時半頃に目が覚めた。最近ずっと睡眠時間少なめで、4時間半ってのは結構寝た方だと思う。
2年前までただの女友達だと思っていた人達に、次々と彼氏が出来たり、結婚したり。ついに最後の1人にまで彼氏が出来ちゃって、僕と遊んでくれなくなった。その事ばかりを考えていると、最近はうまく眠れない。中途半端な関係を維持する事に注力しないで、その中の誰か1人とでも深い関係になりたかったな。
もう自分も遊んでばかりいないで、彼女さん欲しいなあ…と思う。けれども大学時代みたいにサークルでという訳にもいかないし。どこかに出て行かないとなと思うけれども、一体どこに行ったらいいんだろ。
俺の友達に、DSのことをカレシって言ってるやつがいた。
何故ピチカート・ファイヴが入ってない?
http://anond.hatelabo.jp/20080721222220
まあ、どのくらいの数のイスラムオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、その上で全く知らないイスラムの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、イスラムのことを紹介するために見せるべき10冊を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女にアニメを布教するのではなく相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う4巻、6巻のシリーズは避けたい。
あと、いくらイスラム的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
映画好きが『カリガリ博士』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
イスラム知識はいわゆる「テレビまんが」的なものを除けば、高校倫理と世界史程度はかじっている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「井筒以前」を濃縮しきっていて、「井筒以後」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。厚さも文庫一冊だし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
片倉もとこ『イスラームの日常世界』(岩波新書)、桜井啓子『日本のムスリム社会』(ちくま新書)
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな入門書(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「イスラムオタとしてはこの二つは“エッセンス”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のイスラム神秘主義オタが持ってる愛への憧憬と、ペルシア文芸のオタ的な悲劇へのこだわりを彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも谷口悟朗な
「童貞的なださカッコよさ」を体現するマジュヌーン
の二人をはじめとして、オタ好きのするキャラを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「聖書学だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後続いていないこと、これが東洋学では古典になったこと、イスラム世界の伝統とは相容れず、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、日本国内でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
佐藤次高・鈴木董・坂本勉編『新書イスラームの世界史』(講談社現代新書)
「やっぱり新書は一般のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは板垣雄三編『「対テロ戦争」とイスラム世界』(岩波新書)
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかける著者たちの思いが好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれでも三巻、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
全三巻の長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが『新書アフリカ史』や『物語△の歴史』(中公新書)だったらきっちり全一巻にしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて全三巻を作ってしまう、というあたり、どうしても「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ著者たちがそういうキャラでなかったとしても、親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層で神戸モスクや東京ジャーミーを見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
現段階でイスラム建築研究の制度的担保がなされていない日本において、関連する新書はこの作品以外にはほとんどないとも言えて(中公新書の『モスクが語るイスラム史』は絶版)、こういうクオリティの作品が日本でこの時代にようやく出てきたんだよ、というのは、別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくイスラム好きとしては不思議に誇らしいし、報道や資料集でしかイスラム建築を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
マルジャン・サトラピ『刺繍―イラン女性が語る恋愛と結婚』(明石書店)
現地女性の「目」あるいは「語り」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。「座学の教義理解からはとらえられない地域の日常を毎日生きる」的な感覚がイスラム教徒には共通してあるのかなということを感じていて、だからこそ地域を知るための基本書は『もっと知りたい○』(弘文堂)、『暮らしがわかるアジア読本●』(河出書房新社)、『◎を知る■章』(明石書店)以外ではあり得なかったとも思う。
「日常を生きる」というイスラム教徒の感覚を知りたいという気持ちが今日さらに強まっているとするなら、その「理解」の源は現地の声をじっくり聴くことにあるんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういう日本人イスラム教徒のイスラム理解をこういうかたちで書籍化して、それが非イスラム教徒に受け入れられるか気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。
井筒から始まってハルヒで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、YouTube以降のアニメ時代の先駆けとなった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
・・・とりあえず、メシ、食いにいくか?
もう20代後半だというのに、好きな人に気持ちが伝えられない。
せっかく好きな相手とふたりで飲んでていいかんじになっても、
「あんたなんかどうでもいいもんね」とか、
「わたしが誘ったって、なんとも思わないでしょ?」とか、
そういうことを平気で言ってしまう。
昨夜も、自分から飲みに誘っといて、そういうかんじ。
いやあ、とにかく好意を悟られるのが恥ずかしい。
飲みに誘ってんだから好意を持ってるのばればれなのに(たぶん)。
そんなだから、今さらしおらしくするのも恥ずかしくって悪循環にはまっている。
はああ…。
子供の頃のことだ。チンゲンサイがあるのならばマンゲンサイもあるはずだと思った私は、ある夏の真っ昼間に隣の家庭の畑に忍び込んだ。そして麦藁帽子を被っていても額やこめかみから滴り落ちる汗を手で拭いながら、キャベツや大根やゴボウといった様々な苗を掻き分けて私は必死にマンゲンサイを探した。しかし見つからなかった。というかそもそもマンゲンサイとはどういう野菜なのか分かっていなかった。チンゲンサイでさえもどういう形をしているのか分かっていなかった。
私は冷静になろう、とその時思った。チンゲンサイとはどんな野菜なのだろう。母親がよくお浸しにしてくれるホウレン草と似たようなものなのだろうか。似て非なるものなのかもしれない。卵と一緒に炒められたものを食べた記憶はあるが、それ以上の知識はない。私は自分が無知であることに改めて気付かされ愕然とした。そして、自分は何故こんなにもガサツな人間なのか、せめて植物図鑑と携帯出来る蚊取りマットあるいは虫除けスプレーを持って来るべきだったと後悔していた。
そんな時、視界の片隅で動くものを捉えた。それは遠目には妙に表面がすべすべした木の根が土を破って突き出しているように見えた。二本の、地面に対して「へ」の字を描くようにして折り曲がっているそれを私はよく近付いてみてみると、実は二本の足だった。私の足と比べ物にならないほど肌は白く、表面にはうっすらと産毛が生えておりその膝の部分に時々紋白蝶や蜜蜂が止まったりしているのが見て取れた。足の先端部は地上に露出していた。それはヘビイチゴを潰して煮詰めたような赤いマニキュアに彩られた爪が特徴的な五指を地面にぺたんと着けていた。
私は足の方向から類推して頭の方を探す。すると、今にも浮かび上がろうとするかのように女人の顔に加えて乳首も露な乳房が二つ土から露出していた。女人は目を閉じていた。御伽噺を私は思い出していた。口付けすると女人は目を開くという類のものだ。私は女人の顔に自分の顔を近付けた。肌はやはり白く、口唇がやはり不気味なほど濃い赤色の口紅に彩られ私から見て右の目尻に小さな黒子がついていた。私はそっと口付けをした。女人は目を開けなかった。唇に顔を近付けると微かに頬を暖かい吐息が撫でた。鮎の匂いがした。
私は二つの乳房の先端の乳首をそっと摘んでみた。それは硬くなり、先から静かに乳色の液体が流れてきた。足と乳房の位置から私は秘所の場所を割り出すことが出来たので農具庫まで行ってスコップを取り出すと掘り始めた。どれだけ掘っただろう。全く毛の生えていない下腹部が少しずつ露になり、後はこれ以上傷つけないようにして手で掘った。爪の中に土が食い込み痛くなったけれど、下腹部をそっと撫でてみると痛みは少し引いたように感じられた。私は女芯を見つけ出しそっと手を触れた。そして後は父親の官能小説で覚えた例の行為を試みようとした。しかし、影を感じて上を向いた。女性は上半身を起こし私を見て笑っていた。そして言った。
もちろん、責任は取ってくれるわよね。
それと同時に豪雨が辺りに降り始めて私はすぐにずぶ濡れになってしまい、稲妻が光る中を文字通り腰を抜かしながら家に戻った。何をしていたかなんて言える訳がない。チンゲンサイもマンゲンサイももうどうでもいい。私は風呂場に入り、大根の土を洗い落とすように全身の土や汗を流した。それで排水口が詰まってしまったのでこっぴどく私は両親に怒られた。雨は降った時と同じようにあっさりと上がった。狐の嫁入り、という言葉が不意に浮かんできた。
心の澄んだ花を荒らしても探すなら
打ち切りを喰らったアニメ版ファイナルファンタジー、FF:アンリミテッドのOP、Over the FANTASYの一節である。
初めてこの歌詞を聞いたときどういう意味か理解できなかった。正確には理解するのを常識と良識と臆病さと卑怯さが阻止した。
JPOPとアニソンに自由平等博愛努力友情勝利ガッシボカスイーツなテーマの詩が多い中で、この詩は心の澄んだ花を荒すことによってこそ、真に平和な世界に生まれ変わることができると歌っている。この詩を聞いたとき、丁度他人を蹴落としてでも競争し、どんなにえげつない手段を使っても勝利しなければならない状況にあった自分がいた。そんな状況にいつつも、他人を抹殺することを躊躇していた優しくも優れてもいないただ臆病で卑怯なだけの自分に漆黒の殺意を芽生えさせてくれたのがこの歌だった。そしてこの歌は薄汚れた灰色の自分を、暗黒の勝負の谷底に突き落としてくれただけでなく、真に厳しいのは茨の道ではなくけがれを知らぬ無垢な花の道であることを教えてくれた。
そんな自分にとってフェータルだった歌をグーグル先生に聞いてみたら歌詞違ってた。「荒らしても探すなら」じゃなくて「嵐でも咲かせたら」だった。普通じゃん。普通のアニソンじゃん。俺の漆黒の殺意なんだったの。俺が葬ったあいつらなんだったの。
高学歴は知識と計算速度はあるけど
知恵があるかどうかは、未知だよ? むしろ、知識と計算速度にたよっているぶんだけ、あるあるとかに騙されそうだよ。
いい大学に入って、同級生を探す
橋下さんがいう「民間」ってどこにあるの?
http://d.hatena.ne.jp/sivad/comment?date=20060626#c
ポスト・ヒューマンの魔術師(http://amr-i-t.com/)の人ってkmiuraなの?って誤解してた
kimuraとkmiuraの判別ができてなかったんだなw
404なキーワードを集めて共有する場所があったらいいと思わないか?