2007年07月21日の日記

2007-07-21

http://anond.hatelabo.jp/20070720185812

うん。そういうときってあるよね。見つかる時はドドーっと見つかって逃げられなくなるから今は良いんじゃないのかな。

おもしろい試合。

こういう試合っておもしろい

意外とこういう巡り合わせがよくあるのは

スポーツの良いとことこだね。

不思議

http://anond.hatelabo.jp/20070720231231

http://anond.hatelabo.jp/20070721005327

信仰が重いってこと自体が既に勝手な判断だよ。何故信仰は他の価値観に勝るのか、恐らく彼ら信仰者にはそれがあるのだろうけれども、客観的には(追記:というか、信仰無き人間から見ればといった方が適切か)、その理由が一切無い。信仰無き者にとっては信仰なんぞ、別にそんなのどうだっていいし、もっと上位の価値がある。ただ、普段は信仰に絡むと厄介なことになるから(罰を下すのはいつも神じゃなくて信仰者だしね)、悪い言い方をすれば、狂人には触れるなの精神で表面上尊重しているに過ぎない。

むしろ、信仰無き者にとっては、何故彼らのそんな迷妄文化のために自分たちの趣向が阻害されなければならないかの方が疑問だし、そんなものを振りかざして勝手な文句を言ってくる奴らの方がよっぽど「他者に敬意を抱けない奴ら」だと思う。信仰しているならば勝手信仰していればいい、こちらも勝手に楽しむってわけだ(誤解無きように言うと、らき☆すた擁護じゃないよ、単に批判が目的だから。見方によっては、敵の敵は味方かもわからんけれどね)。

http://anond.hatelabo.jp/20070720232619

あたしは結婚してたまたま今は

相方がいるならば人生楽しい

だけど、一人の時もわりと楽しかったよ。

音楽

小学生の頃に音楽の授業外で歌のレッスンがあったんだが

音を上手くとるとかそういうことを全くせずに

どうやったら声が出せるかというテクニックを

実践的かつ小学生にも解りやすくやってたためか

楽器は出来ないが歌は楽しく歌えるようになった

あの頃の経験が無かったらオールカラオケやっても咽潰れずに歌えるって事は無かったろうな

かぼちゃの種を食べたよ

わたを取って水洗いしたら、フライパンで乾煎りする。

ペンチなどで殻を割って、中身を食べる。

煎ったばかりだと、中身が外しにくい。

食べるのはよく冷ましてからにしよう。

ジューシー

http://anond.hatelabo.jp/20070720215116

野球が下手な人が野球を好きだって言ったらダメなの?

映画が好きな人は良い映画を撮れる力量が無ければいけないの?

何の恥を(元増田は)知れば良いのだろう。

というよりそもそも元の文章がそんなに悪いとは思えない。

あと、この場合は「習った経を読めぬ奴」だと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20070721003419

ついでに。日本学校(音大はもちろん除く。海外は知らない)の音楽教育教育の体をなしていないので、上達は望めない。下手な子は下手なまま。上手な子もほとんど伸びない。また、たいして楽しくもない。

音楽教育は真面目に議論されてこなかっただろうか。考えてみれば、音楽教育と議論ってのは、たしかに組み合わせが悪そうだ。それでも、これらができる人たちは確実に存在している。やはりシステム的な問題だろうか。

なにはともあれ、僕は子供達が可哀想だと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20070721003612

だからといって前者が尊重されるべき理由もない。

信仰ってもんがあるだろうが…

神社なんか特に地域に根付いた聖域なんだから、よそ者が土足で荒らしていい場所じゃない。

他人に敬意を抱けない奴らと、連綿と続いてきた信仰ではどっちが重いか判るだろう普通に。

お客さん気分で消費していいものじゃないぞ。

http://anond.hatelabo.jp/20070720223846

それなんてフラグ

彼氏いるのに「ぜんぜん毎日楽しくない」なんて言ってるんでしょ?

ぜんぜん彼氏にも楽しみを感じないって、すごいチャンスだと思わない?

告白することで彼女幸せになると考えてみよう。

「自分が楽しませることができるから」楽しい

 彼女を楽しませる自信があるのなら、すぐにでも告白しろ!つーかまず遊園地誘え。理由は「なんか退屈そうだから」でいいの。他に理由なんて作らなくていい。ダイレクトに誘え!

彼氏がいるのに他の人に告白された」って状況が楽しい

 どんな状況でも、彼氏以外に告白されたらビックリする。日常に大きな刺激が加わる。それだけで誰だって楽しい。「彼氏と君とどっちがいいんだろう、、、」とか「どう彼氏と別れよう」とか「どう告白を断ろう」とか考えるだけですんごく楽しい。もし振られても、彼女はそれで平坦な日常を変えることができるんだよ。

でも。。。彼女幸せのためには俺の思いを伝えない方がいいんだろうなぁ。絶対迷惑かけるもん。

それはなにか根拠のある推定なの?

いま現在、どうも幸せっぽくない彼女は、告白したら必ず不幸にでもなるの?

同じ研究室だから振られたとき気まずい?それは彼女にとってホントに不幸?自分の恐れを勝手投影してない?

一般論だけど、告白されて振っても「誰かに好かれてる」ってことはそう悪い気分ではないものだよ)

恋愛のカケヒキなんてできないだろ?自分のことをどう思ってるかなんてわからないだろ?未来なんて予測できないだろ?

自分の気持ちに正直になれよ。

セカンドバッグ

C・ロナウドだってセカンドバッグ使ってるから、以降セカンドバッグは駄目絶対という脱ヲタ論はなしな。

単純な疑問

女の方が髪の毛が長いのはなぜ?(女らしく思われるのはなぜ?)

女がムダ毛処理をするのはなぜ?(すべすべだと女らしく思われるのはなぜ?)

女は素足を見せるくせにおっぱいをかくすのはなぜ?(素足の方がコーフンするわ!)

性別とはいったい・・・うごご

http://anond.hatelabo.jp/20070721000639

その意見はある意味正しいと思う。

近隣住民の迷惑というのが「神社歴史」ということに由来するのであれば、そんなものはそれを重視する人にとってのみ重要なのであって、「らき☆すた歴史」(外部から見てどんだけあほらしかろうと、一過性のものだろうと)をこそより重視する人にはさして重要では無い。あとは、当事者のどちらかが当該神社を所有しているというわけでもないのであれば、単に価値観の相違でしかない(神社という存在自体を迷妄の名残、汚点として嫌悪するような価値観もあるかもしれない)。まあ、後者黒歴史化すると思うけれど、だからといって前者が尊重されるべき理由もない。

近隣住民の迷惑というのが、騒音などだった場合には苦情を言うのは正当であると思うけれど。

http://anond.hatelabo.jp/20070720144545

音程のずれ自体が分かるのであれば(記事からはそのように読めた。ずれ自体が分からない人は超レア)、音痴は練習次第で克服できると思う。嘘かと思うかもしれないが、マジ。弓場先生の本がおすすめタイトルアレだけど、内容は良くできてる。

Amazon.co.jp: 声美人・歌上手になる奇跡のボイストレーニングBOOK―効果てきめん 世界が認めた『YUBAメソッド』: 本: 弓場 徹

リズム感のトレーニングならインターロックかなぁ。ただ、これは普通リズムがとれることが前提になっているので、難しいかも。ま、日本人は基本的にリズム感が悪いので、かなりリズムがずれていても許容される気がする。むしろそれが素人のノリだ、みたいな。

Amazon.co.jp: 黒人リズム感の秘密: 本: 七類 誠一郎

そもそも、大人になってからわざわざ嫌いな音楽を練習する必要は無いわな。でも、音楽できると楽しいよ。そんなお節介

放置しないでくれ

放置しないでくれ・・・

ただ一言、寂しいと言えれば恋人も気にかけてくれたかもしれないけれど・・・

恋人の隣にせめて座りたかったんだが、障害物が邪魔なほどあって、座れなかった・・・

少し離れたところで恋人を見てるだけ・・・寂しいじゃん・・・

・・・なあ、頼むから放置しないでくれ

たまには声くらいかけてくれ

目配せじゃ意味通じねーよ・・・ orz

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まだつかないよね?

表示されないんだけど…。

聖地巡礼

久喜市鷲宮神社最近大きなお友達が大量に押し寄せていて、近隣住人に迷惑がかかっているという話題。

こんな意見を拾った。

でも神社歴史は俺たちの知らないところで誰かが勝手に作ったが、

らき☆すた歴史は俺たちがまさに創りあげているものだから、私たちが楽しむためにもこれぐらいは我慢してほしい。

もうなんて言えばいいのか。

http://d.hatena.ne.jp/sen_1000/

西暦2026年日本にある奇妙な現象が起こった。出生率が激減したのだ。

もちろん、出生率の低下はつい最近に始まったことではない。前世紀半ば1970年ごろの、いわゆる第二次ベビーブーム以来日本出生率は一貫して下がり続けていた。だが、2026年に起こった出生率の低下はそれを凌ぎ、前年度の半数以下にまで落ち込んだのだった。だれもが首を傾げ、専門家市井ブロガーも、ありとあらゆる人がこの問題の分析を議論した。

21世紀情報化社会にあっても、丙午の女性は男を食い殺すほど強い、という迷信が健在なのだというトンチンカンな分析をする社会学者も居た。

この原因が分かったのはつい最近のことである。

O社というある小さな会社の出した女性ロボットが、その原因らしい。

そもそも、人間の基本的な欲求、適応度を上げると言う意味生物的に基礎的な欲求は、あるレベルを超えれば経済学で言う収穫逓減の状態を示す。水も空気食品も、あるいは快適な生活空間も人間の生存には無くてはならないが、ある一定以上を求めることは無い。もうおなかいっぱい、と言う状態が存在する。だが、男性の性的な欲求だけは例外であって、際限が無い。

三大欲求という言い方がある。食欲、睡眠欲、そして性欲を指すのだそうだ。このうち、食欲と睡眠欲は自身の存在を存続させる欲求、性欲は自身の存在を拡散させる欲求であると言い換えられる。では何故自身を存続させたいと思うのだろうか? それは、自身の存在を拡散させるため、自身の遺伝子コピーを広げるためであると言える。生物存在という目標のためだけに生物存在し、またその目標が無ければ生物自身も存在し得ない。果てしの無い自身の再生産のためだけに生物存在する。

男女の愛に関する悲劇の全ての源泉は、男女によって生物学的な適応度を高める方法が違うということに由来する。女性はいくら多くの男性関係を持ったとしても、直接には子供の数を増やせないが、男性は数多くの女性関係を持てば、原理的にはほぼ無限に多くの子供を持つことができる。それゆえ、自身の適応度を際限なしに高めることができる。だから、男性の性欲には限度がない。1000人、あるいは10000人と関係を持ったとしても、1001人目、10001人目の女性セックスできるだろう。

だが、一般的な水準の容姿と金銭と道徳観念を持った男性にはそんなことはできない。だから、売春が生まれ、ポルノが生まれた。英語で"the oldest profession"「最古の職業」と言えば、売春のことを指す。古くは版画やグーテンベルグの発明から映画に至るまで、あらゆるメディアにおいてポルノ存在した。ビデオデッキの規格戦争においてVHSが勝利したのも、その影にアダルトビデオがあったのは有名である。軍事的な目的のために開発されたインターネットを一般人に普及させたのもポルノサイトがあってのことだ。ありとあらゆる技術は、男性の性欲を満たすために使われてきた。人間経済活動は、男性の性欲に由来している。いや、そもそも言ってしまえば経済活動も含めたあらゆる人間の活動は、究極的に突き詰めれば、この男性の性欲の限度の無さに由来するのだ。人間無限の欲望も、背後にある原動力として性欲によっている。もし人間から性欲が無くなれば、あらゆる種類の人間の活動は全て無意味になる。

 たとえば、車は分かりやすいステータスシンボルであり、セックスアピールである。移動手段としては不相応なまでの高級車を持ち、ガソリン代、車検と不必要なまでのコストを掛けることは、生物学でいうハンディキャップ理論の表れであると言える。食欲を満たすという目的のためにはあまりに高級すぎる、人気のデートスポットであるフランス料理店。これも性的な欲求を含めなければ説明がつかない。動きにくく実用的でない服装や、映画や絵画といった美術ですら、究極的に突き詰めれば性欲に由来する。男性権力高収入を求める欲求が女性より強いのも、それが歴史的に女性を得る手段に直結していたからである。歴史を紐解いてみればいい。権力者独裁者はほぼ例外なく側室を持ち、多くの子を残している。アメリカの元大統領クリントンのように、権力者が複数の女性と性的関係を持つことが倫理的に許されないことになったのは、ごく近代のことでしかない。日本ですら、戦前までは政治家財界人愛人を持つことは当然のことであったし、社会通念的にも認められていた。明治天皇大正天皇ですら、嫡出子ではなく側室の子であった。「英雄色を好む」という言葉があるが、これは生物学的に見れば一種の逆転である。英雄と呼ばれる人間だけが好色なのではない。そうではなく、あくまで権力を得た人間は自身の欲求を実現する方法をも同時に得られるということでしかない。

しかし、人間婚姻という他生物には見られない独自の制度を持っている。世界中どこを見ても、結婚制度が存在しない社会存在しない。「交尾でオスの役割は終わり」という生物とは違い、どんな社会においても、人間男性は自身の妻や子供を養育する義務を持っている。(蛇足だが、人間男性が若い女性を好むのも、長期にわたって一人の女性と性的関係を築く婚姻制度によって生じたものである。その証拠に、交尾でオスの役割は終わりというチンパンジーの一種は出産育児経験のある中年のメスを好む。なぜならそのほうが自分の子供が生き延びられる確率が高いから)それゆえ、近代のテクノロジーが発達する以前の社会においては、自身の限度の無い性欲を満たせるのは、社会的に成功したごく少数の男性だけだった。付け加えて言うならば、有史以前、人間が貨幣を持つ前の狩猟採取社会においては、どうやら一夫多妻制度はまれであったらしいと言うことが分かっている。多くの皮肉屋の主張とは違い、資本主義の発達により貧富の差が生まれたことによって、多数の妻を養うことが可能になったようだ

だが、大容量のインターネット回線と、テレイグジスタンスバーチャルリアリティ、そして人型ロボット研究男性の際限の無い欲求を満たすことを可能にした。

月々数千円も出せば、海の向こうの幼い少女からディスプレイの中にしか存在しなかった理想の美少女まで、ありとあらゆる女性とのバーチャルな性行為が楽しめるのだ。お互いの性器に装着したネットワーク対応の性器具と、データグローブボディースーツ、そしてヘッドマウントディスプレイによって、その場に存在するような臨場感を持って、バーチャルセックスを体験させるサービスが提供されていった。インターネットサービスは、地理的な障壁や囲い込みがないため、常に、全世界が競争相手であるし、容易に相手のイノベーションを取り込めるので、リアルでは考えられないほどのすさまじい速度で進化していくのが常だが、ネット経由の売春も、その例外ではなかった。

そして、流れが決定的になったのは、前年に発売された女性ロボットだった。

ちょっとした高級車を買うくらいのお金を出せば、文字通り女性を所有することができるのだ。しかも、現実女性と違って妊娠することも浮気をすることも歳をとることもない。なにより、飽きて捨てたとしても何一つ文句を言わない。

しかも、簡易ではあったが会話もでき、(ちぐはぐな受け答えが、逆に幼さを感じさせるとして喜ぶ男性も居るようだ)食事や掃除と言った家事をすることもできた。妻を持ちたくない、または持てない男性にとっては正に福音であった。

いや、もてない男性だけではない。中間層の普通に交際相手が居る男性にとっても救いであった。彼らは常に女性のご機嫌を伺い、足代わりに使われ、食事を奢らされてまで、不確実なセックスにありつくことに疲れ果てていたのだ。彼らにとっても、女性アンドロイドの登場は救済であった。何も要求せず、見返りの無い愛を注いでくれる、いつまでも無垢な女性。有史以来の男性永遠の理想の体現であった。

だがしかし、その後不可解な面白い現象が起きた。一体何が起きたのか?

数年間のうちに、出生率がV字回復したのだ。ちょうどそれは、60年前の丙午の翌年に起きた出生率の回復のようだった。

例え人形であっても、女性と生活を共にする以上、身だしなみを整え、生活習慣もきちんとしなければならないという男性が多少は増えたのだ。現代の情報化社会の中で、不当に抑圧され、自己肯定感を失っていた若い男性が、たとえそれがロボットであっても、全面的に肯定されることで自信をとりもどしたのだ。不当にワガママ女性に対しては、いつでもアンドロイドに戻れる、ということをほのめかし、恋愛において男性女性と対等な立場で渡り合えるようになったのも大きい。

そして、性欲は人間の本質的な欲求であるが、それと同じくらい、子供を持ちたい、家族を持ちたいという欲求も本質的なものであるらしかった。擬似恋愛という一種のカンフル剤で人間性を取り戻した男性が、次々に現実恋愛結婚へと戻っていったのだった。

しかし、再び恋愛市場の中に戻っていったのは、男性全体から見ればごく一部でしかない。彼らはもとから女性に相手にされるだけの財産なり顔なりを持っていた幸運な男性なのだとも言える。大部分の男性は、そのまま「戻ってこなかった」 なにせ、どれほどのキモメンであろうと、振られる事はありえないのだ。大部分の男性は、理想の彼女と一緒に、自閉的な生活を送るようになった。それでも彼らは満足しているようである。

こうして今や、少数の結婚市場に復帰した男性と、大多数の「降りた」男性たち、そして、理想の彼女との競争に晒される女性だけが残った。出生率が回復したと言っても、日本出生率は世界最低レベルを走り続けている。どうやら経団連は、労働力不足を補うために本当に移民の受け入れを考えているらしい。このままでは1半世紀しないうちに日本人は消滅すると予測している学者も居る。

しかし、再び現実恋愛へ戻っていった男性も、擬似恋愛を楽しんでいる男性も、それぞれに幸せなようだった。

だが、、、これは本当に人類進歩なのだろうか? はたして、テクノロジーは本当に我々を幸福にしたのだろうか? 科学技術進歩によって、最後に生み出されたものが「自由意志による断種」「幸福に包まれた自死」でしかなかったとしたら、数千年に及ぶ人類歴史は一体何だったのだろうか? 今後の人類未来を考えるにつけ、私は絶望的な気分になる。

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