2007-07-21

http://anond.hatelabo.jp/20070721000639

その意見はある意味正しいと思う。

近隣住民の迷惑というのが「神社歴史」ということに由来するのであれば、そんなものはそれを重視する人にとってのみ重要なのであって、「らき☆すた歴史」(外部から見てどんだけあほらしかろうと、一過性のものだろうと)をこそより重視する人にはさして重要では無い。あとは、当事者のどちらかが当該神社を所有しているというわけでもないのであれば、単に価値観の相違でしかない(神社という存在自体を迷妄の名残、汚点として嫌悪するような価値観もあるかもしれない)。まあ、後者黒歴史化すると思うけれど、だからといって前者が尊重されるべき理由もない。

近隣住民の迷惑というのが、騒音などだった場合には苦情を言うのは正当であると思うけれど。

記事への反応 -
  • 久喜市の鷲宮神社に最近大きなお友達が大量に押し寄せていて、近隣住人に迷惑がかかっているという話題。 こんな意見を拾った。 でも神社の歴史は俺たちの知らないところで誰かが...

    • その意見はある意味正しいと思う。 近隣住民の迷惑というのが「神社の歴史」ということに由来するのであれば、そんなものはそれを重視する人にとってのみ重要なのであって、「らき...

      • だからといって前者が尊重されるべき理由もない。 信仰ってもんがあるだろうが… 神社なんか特に地域に根付いた聖域なんだから、よそ者が土足で荒らしていい場所じゃない。 他人...

        • 信仰が重いってこと自体が既に勝手な判断だよ。何故信仰は他の価値観に勝るのか、恐らく彼ら信仰者にはそれがあるのだろうけれども、客観的には、その理由が一切無い。信仰無き者に...

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